三食有、昼寝無

新型コロナウィルス感染症の拡大によって、わたしの生活にもさまざまな変化がおきている。幸い現時点で自分や自分のごく身近な範囲で感染症にかかったり経済的に著しい困難に直面したりという例はないが、全体としてみれば、「禍」の言どおり、間違いなく不自由で不便な生活になっている。
とりわけ、余暇の過ごし方は大きな打撃を受けている。
バレーボール観戦で言えば、2月半ばのV2が直近最後の現地観戦。2月末のV1ファイナルは無観客開催となった。それにあわせて上京する友人に連れて行ってもらう予定だった宝塚歌劇は上京がとりやめになったので一人で観に行った。宝塚もほどなく(それこそ、わたしが観た日を以て)残りの全公演が中止になった。
歌舞伎見物は、1月の国立劇場かしら。
ライブは、去年のBUCK-TICK*1 DIQ。初夏に予定されていたライブハウスコンサートはすべて延期。先月アルバムがリリースされ、こちらはライブコンサートではなく、フィルムコンサートツアーをしている。フィルムコンサートでも、ホールに出かけて大画面で映像を見て大きな音で音楽を聴くこと自体のありがたみをひしひしと感じた。
プロ野球は今季まだ一度も観に行っていない。悩んだものの、ファンクラブには、入るだけ入った。通常であればそろそろレギュラーシーズン終了の10月。今日初めて、チケットを取った。
国外旅行は、2月下旬のホーチミンはほんとうにぎりぎりのタイミングだった。6月ごろだったか一縷の望みをかけて9月連休の旅行を予定したが、当然キャンセルになった。
国内旅行は、3月の初旬に、安曇野で気球に乗り&白馬でスキーをした。「どうする?」という確認の声は上がったが、密(「三密」というキャッチフレーズが生まれるより前)とはほど遠い大自然レジャーで、まだ世相も深刻ではなかった。行けてよかったね、と、その後、ことあるごとに言っている。
県をまたぐ移動も4月の頭から7月の半ばまでしなかった。県またぎどころか、4月の半ばには9日間連続で靴をはかない(つまり家から一歩も出ない)時期もあった。7月のおでかけはやむをえぬ事情によるもので、プライヴェートな楽しみ目的ではいまだ都外に出ていない。
年末年始に「次はGWに」と祖母と話したが、GWはもちろん、盆の帰省も控えた。
複数の友人との会食は3月半ば、3連休の前。サシでのごはんは3月末。先月それ以来の対面でお茶をした。

旅に行けない、ライブイベントに行けない、複数人でわいわいご飯を食べたりお酒を飲んだりできない、日常生活ひとつひとつに気が張る。ストレスは大きい。
ただし、ストレス発散の手段が悉く封じられていることには心底閉口しているものの、何もせず家で過ごす休日そのものは性に合っているので、苦ではない。元来出不精で非活動的なのに、休日でも朝から夜まで家をあけている日が多いここ数年のほうが異常だった。
それに、この状況ゆえに日常生活が充実している側面も、実はある。
それはひとえに、夫との同居生活によって、つまり、夫によって、成り立っている。
4月半ば以降、月による差はあるが、おおむね半月から二十日程度、夫と一緒に生活している。今のところ、今年度中は(後期も対面じゃなくなったので)こんな感じかねー、という見立て。
4月のあの時期の県をまたぐ移動、当時は公にするのはいささか憚られたが、なにぶんわたしのメンタルが限界だった。夫はウィルス感染の危険に対して厳格なほうで、万一移動中に拾いでもしたらと慎重な姿勢を崩さなかったが、ここにはとうてい書けないことを言いつのり、メンタルの危機を泣いて訴えた。それにわたしの対感染症意識は緩いので、放っておくと、感染面でもヤバかったんじゃないかと、今でも思っている。
移動費は政府からの定額給付金が充てられている見当。規則正しい生活、整った三食(しばしばおやつつき)、全家事からの全解放、夫持参のNintendo Switchの FitBoxing とリングフィットアドベンチャーでの毎日の運動。在宅勤務環境改善のための投資*2、それから、話し相手。
料理教室に通っていて良かった、と、夫は言った。去年料理教室に通おうと思うと言われたときは、なんでまた、と思ったが、まさか毎日手料理を食べる日が来るとはね。
結婚する前も、してからも、いざ同居となっても恙なく同居できるものかと不安だったが、やってみたら案外できた。ただし、今はこちらにいるときの夫は完全在宅勤務で通勤も出張もないという特異な状況。そして、これを来年度も続けるとは考えにくいので、たとえわたしが自宅で孤独につぶれそうになりながら在宅勤務をすることになっても、泣いても、来年度は再び別居生活に戻るだろうことを考えると、とても淋しい。

*1:今日は衝撃が走っている。

*2:ディスプレイとか