さっき「づつう」を変換してくれなかったことで思い出した。

数日前,駅から職場までの空中歩道をへろへろ歩いていたときに,ふと「ず」と「づ」の音の違いってのが気になり。考えてみれば,日本語の発音について体系だって習ったことがないので,それらの音の舌の位置だとか音の出し方がどうなってるのかも知らないんだよね。


一般的に(日常的に)「ず」と「づ」は同じ音として扱われているから,「違いってなに?」って考えること自体が(日本語としては)ナンセンスなんだが。それに,語の成り立ちに伴った表記上の違いだけで,本当に同じ音なのかもしれませんし。(日本語のかな50音の各行は必ずしも同じ子音で揃っているわけではないように思われる)。


ただ,そこを敢えて“「ず」は「す」の濁った音”“「づ」は「つ」の濁った音”と無理矢理決めて発音してみると,ちょっとした発見がある。つまり「すの濁ったず」と「つの濁ったづ」で異なる音の出し方をすることは可能。そして,楽なのは「つの濁ったづ」の方。違いは,舌の先が上顎(上の歯の付け根)に付くか付かないか。「す(ず)」は舌の先はどこにも付いていない状態。「じ」と「ぢ」で比べるとより顕著で,「しの濁ったじ」を出そうとするとなかなか難しい。


かなりしょうもない遊びでしかないが。しかし,そこでふと疑問に思うのは,なぜ今の日本語の表記方法は,「だ」行ではなく「ざ」行の方を優先したのかってことだ。これまた体系だって習った記憶があまりないのでよくわからんのだが,語頭の「づ」は全部「ず」になってるんですっけ。語中でも,どういう基準かわからないけど「ず」になってしまった物が多い。中には「つまづく」みたくATOKで変換できる(「づ」が残っている)語もあるけど,同じ語形成と思われる「ぬかづく」は変換できない。「つま+つく」「ぬか+つく」で同じじゃないの? 違うの? 「ぬかづく」なんて日常使わないんだからよほど「ぬかづく」のままであっても不思議はないのだが。


昔の人(といっても「小学校教育を受けたのが戦後ではない」程度)の表記は「〜じゃない?」の類の「じゃ」が全部「ぢや」になっている。おかげで“昔の文章”らしさ満点なんだけど,これまた自分で発音しながら考えてみると「じゃ」ではなく「ぢゃ」の方がより子音の発音の仕方に即しているように思われる。これは,話し言葉をそのまま書き写した表記なので,「あわづ」ではなくて「あはづ」だとか言う類の文語的表記とはまた違う(それも上代には「あはづ」と発音していたのだろうが)。或る意味今以上に言文一致している表記だと思うのだがなんで「ざ」行になったんだろ。


言文一致といえば,今の日本語って識字率の高さがいかんのか携帯メールの普及がいかんのか(冗談です)カキコトバの方が勝ってしまっていて,特に音便に関しては,表記に発音の方が釣られて変化してきている例が見られるように思う。少し昔は音便になっていたのに今は表記通りに発音しているということ(そのさらに昔を辿れば表記通りに発音していたのかもしれないけど)。例えば「背負う」を「しょう」じゃなくて「せおう」と発音するとか,そういうの。


今日のネタにオチはありません。ところで前々からずっと疑問に思っているのだけれど「姫始め」ってなんで「姫始め」って言うの? それともわたしが勘違いしていて実は「秘め始め」が正しいの(これならわかる)?


幾らオチが無いからって,こんな方向に持って行かなくてもいいのにあたしったら。


話を戻して。「ぬかづく」ではなくて「ぬかずく」が正しいといった類は,理屈ではどう考えてもわからないので,それで合ってるの間違ってるの言われるのは嫌ですね(小中学校の国語でテストに出てきたらもっと嫌ですね。出てきた記憶も微かにあるぞ)。辞書ひけよってことなんでしょうが。日本語に正書法なんて無いくせにさぁ。どう書いたっていいじゃんね。かな漢字変換が普及した今,副詞を全部かなで書いている人だとか補助動詞を全部かなで書いている人だとか,あまりいないと思うのですがどうでしょう。もちろん,だからってわたしのようにわざと「些か」とか「寧ろ」とか「屡々」とか変換させるのもどうかとは思うけど。手書きだと書けないのはもちろんのこと,そもそも自分でも読めませんもの。「頻りに(しきりに)」なんて,かなり難しいよね。漢字検定もびっくりだ。(23:46)