なんか最近ヤバイ感じだなぁ,おれ。

と,自分には見えていない自分に恐怖を覚えた先週末。春なのが悪いんだ,とずっとごまかしてきたけれど,そろそろ春も終わる。櫻が散ったら。様子を見ていてもいいものか,何か手を打った方がいいのか,こういうときには身近で行動を観察している人が居ないのが不運。五月病にかかる心配だけはないのが幸運。


今日は,ひょんなことから,女子従業員の制服で有名なとある喫茶店に3年ぶりぐらいで訪れることに。3年前に行ったときは,事前に耳にしていた世間の評判から想像をたくましくし過大な期待をしていたのが裏目に出て,想像とは随分異なる形態の制服に,どちらかというとややがっかりしたものだった。色の所為かもしれないが,エプロンとスカートのデザインが不釣り合いな感じがするのだけれど。しかし今回再挑戦(?)するにあたり,同行のK氏に対して何が良いのかと問うてみたら,氏は「青春」とお答え遊ばした。また,観察ポイントとしては,見えそうで見えないスカートの中,とも。


記憶にあるよりも実際のスカート丈は短く,3年前は街中に溢れる女子高校生達が猫も杓子も身につけていたが為に逆に悪印象を受けていたルーズソックス様の白靴下も,今となっては,少女のふくらはぎを生々しく強調するアイテムであることがよくわかる。確かにこれは「青春」だ。今までは,胸が強調されていることのみがあの制服の人気の理由だと思っていたけど,そうじゃないよ。脚だよ,脚。脚を見るんだよ。(胸が好きな人は胸を見ていればいいだろうが,個人的には胸はどうでもいい)。おかげで視線が腰から下のみに集中してしまい,顔なんかまったく見ないままだったんだけど。一瞥して眼鏡がいなかったから,顔に対する興味がその時点で一気に失せたという話もあり。


それにしても,ああまで「狙った」制服は,それにまつわる諸々の妄想が頭を渦巻いてしまう。つまり,例えば,従業員を雇用するにあたってルックス(顔や体型)はどの程度考慮の対象となっているのだろうか,とか,接客マニュアルにその種の特徴を強調させる為の(或いは強調しすぎない為の)内容は含まれているのだろうか,とか,或いは,従業員自身は制服に対する世間(?)の評価や客の視線を認識しているのか,認識しているとして何故自ら働こうと思うのかその心理,そもそも,女子の目から見てあの制服は「かわいい・着たい」と思えるものなのか否か,等々。


時に,少し話しが変わるが,喫茶店の女子従業員の制服というと,数年前しまうま氏に連れられて行った渋谷のメイド服喫茶店が今でも忘れられない。店自体は一昔前のよくある喫茶店で,知らないと若者は選ばない風の店構え。しかし女子従業員(みな若い)の衣裳がさりげなく紺のワンピースに白エプロン,白のヘッドドレス。そして眼鏡(これは脳内補完)。それだけで鼻息荒くなりませんか? なりませんか。しかしながら如何せん渋谷という街は駅を擂り鉢の底として放射状に何本かの幹線がのびる複雑な地形をしており,行き慣れていないこともあって,たいへん地理が分かりづらい。故にどの辺りにあったのか,どういう順路で行ったのか,そのときも今もわからないのは,残念なこと限りなし。当然店名も不明。


結局あれだ。単に若い娘さんに穿かせるスカートの形の好みとして,フレアやギャザの方がタイト(や台形)なタイプより好きなのだ。これは好みの問題でしかないが,わたしにとってそれは大きい。上記のメイド喫茶(語弊のある表現だが)のスカート部は,記憶は定かではないがタイトスカートタイプではなかったように思う。


ア○ミラにしてもメイド喫茶にしても,従業員がある種の装いをしているだけでほかに何かが(例えば風俗店で行われるようなサービスが受けられる,客が業務時間外に店員に声を掛けて個人的に交際をしてしまう等)あるわけでもないのに,それだけで客が集まるのだから店は喜ぶし,従業員も,その種の衣裳を身につけてみたい子や男子の視線を浴びるのが快感な子であれば喜ぶし,客は当然その装いをした従業員を見て喜んでいるのだから,これは“みんながハッピィ”という不思議だけど当たり前の需要供給バランスの上に成り立っている。ただ,客単価は安いというか,コーヒー一杯で粘られそうな感じがしなくもないが。閑古鳥が啼くよりは良いよね。


それはそれとして,今日のわたしの目つきは果たして如何ほどであったことか。自分で自分の顔は見られないが,向かいの席に座ったK氏からは,おやじみたいだ,と言われた。何故女子であるおまえがそんな目をするかとも問われたが,そんなこと言われてもなぁ。じゃなけりゃ何しに行くよ。(17:52)