野球の話


今日のスワローズ公式webページに載っているPlayer's Q&Aの青の写真がみょうにかっこいい。うへへ。


先週の土曜日のソフトバンク−日ハム戦で,日ハムの新人八木智哉が幻のノーノーを達成したとか。延長12回まで行われた試合は23時過ぎまでやっていたそうで,なんであの日あんなに眠かったのかと悔やまれる。


八木は10回をノーヒットに抑えるも両チーム0行進。投球数150球に達していたことなどから10回終了で降板。その後は11回を武田がノーヒットに抑え,12回の表に日ハムが勝ち越して12回裏をマイケルがやはりノーヒットで抑え,3人の継投による12回ノーノー達成。


試合には1ー0で勝ちチーム記録(12回ノーヒットノーラン試合が何十年ぶりとか)にはなったものの,個人記録にはならないそうな。10回ノーノーで打たれたわけでもないのに個人記録には残らないって,なにやら個人記録の残し方が間違っているのではないかと思うのですが。自分が打たれなかった分,彼の不遇は西武西口を越えたか。


選手の寿命は長い方が良いとわたしは考えるので,この手の個人記録をむやみにうれしがるのはどうかと思うのだけれど,1シーズンに何度かこういう話を聞くと,パ・リーグのDH制の方が投手の個人記録のおもしろみはあるのかな,と思う。


セ・リーグでもノーノーペースだったら続投させるだろうとは思うけれど,8回か9回にチャンスで打順が回ってきたら変える可能性もあると思う。100球越えていれば余計にね。横浜の三浦なんぞは延長に入っても投げてたりするけど……まあ,いろいろ。


150球というと,岡林の150球目などが思い出されるわけですが。


1992年の日本シリーズは新聞の結果しか見ていなかった(当時はデーゲームだったような)けれど,岡林の7戦目の登板を期待した(というか当然のように考えていた)のはかすかに覚えている。今じゃ中3日なんて考えにくいことだが,あの年のシリーズは,先発予想の時点でみんな岡林がMAX3試合投げるの前提にしていた気がする。期待通り登板して嬉しかった。そして負けたけどそれはそれで仕方ない。そこで岡林の名前を覚えて,だからたぶん最初に覚えた先発投手は岡林だ。


その次に覚えた,そして何より印象に残っているのは1993年のルーキーイヤーの伊藤智仁で,ヤクルトを応援するようになったそもそものきっかけは本当に些細なしょうもないことだけれど,その初めのころにこの二人がいたから,そしてあそこでセ・リーグ二連覇したから,結局そのままずるずると今に至っているのではないかと。


って書くとかっこいいけど,その実は単に途中で鞍替えできない性格なだけなんだけど。実際間に10年ぐらい空白があるわけだし。1997年の日本一のころは正直全く関心なかったし覚えていない。相手近鉄だっけ(それは2001年)。