久しぶりに朝駆け仕様で

昼休みもとらず12時間。会社にいる時間が12時間というのは,世間的に見れば騒ぐほどの長さでもないのだろうけど,朝がいつもより早かった(割に寝たのは結局1時過ぎ)分疲れたっちゅぅか。で,8時前に退社。これからゴールデンウィークまではどうしても集中しますな。有休を取ろうが取るまいが,祝祭日だけで4日も休みがあるのは夏以上のしわ寄せが寄るのもやむを得ず。ま,わたしは繋がった連休を使って遊びに行くからそれでちょうど良いのですが。旅行を決めたときには随分先のことだと思っていたけれど,あっという間ですな。


行き帰りの電車は寝て過ごし昼休みがないとなると,書くネタが用意できないわけで,今日は半分お休みでばらばらと。いや,書かなくてもいいのだけれどせっかく少しのんびりした気分なので。夜10時代って,ごはん食べ終えていたら最も自由な時間帯。うふふ。きのうの日記の強烈なメッセージ性は,気づかれていないのか無視されたのか“すいどー”に負けたのか,どれだ?


ネタに詰まったときのお約束で,Web日記についてと最近の世間での話題について(それって政治の話?)。


ここしばらくの「たわごと」は書いている本人が言うのもアレだがあまり良い傾向にない。毎日更新される長すぎる日記には碌なことがない。つまり後々読み返せない(自分でも再読するときに読み飛ばしてしまう)し,読んでいる人もおもしろくないだろうと。でもそういうことをふっと思った時に限って絶妙なタイミングで「『うまく書こう』という自意識が強ければ強いほど、ウェブ日記はつまらなくなる」などという文章を読むことになる(書いた本人は意図していまいが)。


4月に入った頃からか,なかば無意識のうちに意図的に毎日更新(カレンダ上は空いている日もありますが)するようになっていた。そのつもりで一日を過ごせば(今日のように余裕のない日は別として)それなりに書くことも思い浮かぶものである。けして義務感でやっているつもりはなかったし,書いている本人は当然楽しんでやっている。一見何も問題はないのだけれど,一歩引いてみると少し偏執的になっているようにも見え,それがちょっと怖い。おもしろくないというのを横に置いておいても。


なぜ4月に入った頃からなのか,今その理由に思い当たった。つまり,1か月停滞していたりかりかのアンテナが3月末に復旧し,そうしたら,意外と毎日日記を更新している人が少ないという事実に気づいた。知人の日記を読むのは楽しい。遠くに離れて暮らしているから尚更。一度は同じ時間を共有していた人たちが,それぞれの環境でそれぞれの生活をし,一緒にいたころには逆にわからなかったそれぞれの考えを披瀝しているのも興味深い。単純に,夜10時台の娯楽として適当という理由も外せない。そりゃみなさんそれこそそれぞれ生活があるだろうから,平日に日記をたらたら書くことは少ないだろう。それはわかるがせっかくアンテナを見ても誰も更新していないのはつまらない。パソコン起動しても読むものが少ないのはつまらない。そう思う人は多いはずで,この上わたしまでいなくなったら,そりゃぁ寂しかろうと,勝手に思ったのだ。


質より頻度,毎日とりあえず何か読み物を提供。読むものがないから書く時間もその分とれる。そのせいで毎日平均1時間がかりというよく分からない状況になってきているのだが。


先週土曜日に少し「たわごと」の話が出て,要するに質は今イチだよねっていう話題だったんだけど,その場の意見(といっても話に参加していたのはごく少数)として,質の善し悪しの差が著しい,と。比較対象が某10万アクセス(現時点で174166)サイトだから,比べちゃだめだと思うんだけど。そしてそのとき某10万アクセスの作者から,「たわごとは質の一定を保つことや読者が楽しく読めるかどうかは第一義に置いていないだろう」という旨の指摘というか確認というかを受ける。その通り。もはや古いネタで恐縮だが,わたしはWeb日記についてかなりな自己定義付けをしていて,そのスタンスは今でも基本的に変わっていないと思う。


あとでこの話(書いてる本人は幸せだが読んでいる方があんまりおもしろくないよね,という話)をかなまるにしたら,どこがどうおもしろくないのかを聞くべし,と言われた。好きの反対は無関心。注意・忠告をしてくれる人は大切に。改善のヒントでありチャンスである。賞賛の意見よりも何倍も傾聴すべき内容を含むものである。と。まぁね,聞きたくない,とそこで耳をふさいでいてはいかんのです。今回の場合は,耳をふさいでいたというよりも酔っぱらっててそこまで頭が回っていなかったのですが。


しかし,「おもしろい」「おもしろくない」といった感覚を何故受けるのかをことばで説明するのは非常に難しいことであり,それができるんだったらわたしのような素人雑文書きも,もっとハッピィになれるか,あまりに簡単なので書く気が失せるか,どちらかだろう。


書きたいが第一義。でも,読んでもらえたら嬉しいし(何らかの反応があるともっと嬉しいし),あわよくば楽しんで読んでもらえたらという想いが,全くないわけではない。そんなもんです(きっとね)。


話しは変わるが,他人の日記といえば,某所で幸せそうなことが書いてあって,おお青春日記だこれはのろけか? とひとりで盛り上がってしまったのだけれど,3秒も経つと,自分が書いていることも似たようなものであることに気づいた。交際相手をどのように表記するかで第一印象はずいぶんと違う。わたしはかなまるのことをあまり恋人だと思っていないので他人に対して恋人と説明したことは,記憶にある限りでは一度もない(実際には何度もあるのだろうけれど)けれど,実験的に今後「恋人」呼ばわりしてみようかしら。形から入るというのもない話ではないので対外的にそのように書いていれば恋人気分にもなるかもしれませんし。