土曜日に暴言を吐いていたように,

興味関心がなく,また,世間が何故興味関心を持つのかも全くわからず,しかしニュースはそればっかりなのでおかげでかねてから望んでいた「テレビを見ない生活」に一歩近づくことができ,嬉しいような嬉しくないようなそんなこんなだったわけですが。


わたしも人の日記をそれほど読み歩いている方ではないのだけれど,それこそドラマレビューの読み歩きなどをしていると,この件に触れている(何らかの発言をしている)日記は数多く見られた。それ自体は構わない,というか,テレビを見ず新聞も読まずだったので最低限の知識を得ることができて有り難かったわけですが。


「政治と宗教の話はしない」というのはもちろん半分は冗談で,それをポリシーにしているわけではない。それに,いくら興味関心および知識が著しく欠けるとはいってもそれなりに一言やっぱりわたしも述べたくなるもので,電話とか酒席とかではそれなりに語りもしている。しかし「たわごと」で敢えて採り上げなかったのは(フライングで解放前にネタにしてしまいましたが),世の中にはいろいろな意見がある,ということが,少ないWeb日記観察からもわかったから。


いろんな意見があるのは当然で,皆が同じ方向に流れることのほうが却って怖いわけだけど,わたしは公正な情報や正しい基礎知識がないまま,個人のWeb日記を読み,そこに書いてある内容にすぐ影響を受けた。しかし別の日に別の人の日記を読むと,そこには最初に読んだ意見に反対するような意見が書かれており,しかしそちらも一理ある。この時点で脳は混乱し思考は停止する。そこで「じゃぁ,あんた自身はどう思うの?」という問いに答えを出せるほど,パワーがなかった(パワーを注ぐ気になれない,が正しいか。そのこと自体を非難する向きもあるかもしれませんが)。だから何も書かない。60年代末のノンポリって案外そんな感じだったのかしら違うかしら。どうでもいいけどノンポリであることが非難の対象になっているのではないかと少しびくびくしていたことも嘘ではない。


しかし今回の一連の動きに関しては,森先生言うところの「みんな忙しそうだよねよくそんな時間あるよね」(こんな表現ではないが)にしみじみと感じ入るのだったが,当の森先生も今週の「浮遊研究室
」でごくさりげなく触れていて,その内容にはたいそう共感を覚えはするものの,「結局あんたも見てるんじゃん」というツッコミを入れずにはおれないのだった。(23:54)