薩長土(肥)


最終回が終わってから,感想が書かれるのを心待ちにしていた日記がある。今日の昼間にチェックしたら,彼女(たぶん)の日記が更新されていた。


わたしは長州贔屓ではないし基礎的な知識もないし,だから彼女がこれまで書いていらっしゃった感想や意見のすべてに共感しているものではないのだが,今回の最終回については概ね「激しく同意」な内容だった。


他人様が書いた物をもってきて「激しく同意」の一言で済ますのは著しい横着との誹りを免れないが,どっこい自分では書き表せないのだ。誰かが書いてある文章を読んで初めて「そうそう,わたしもそういうことを感じたのかもしれないよ」などと(後出しじゃんけんの如く)腑に落ちるのだ。もやもやをことばにしてもらえた感じ。待っててよかった。


と,ややおおげさな煽りになってしまいましたが。URARIAさんの「萌えるローマ帝国HAPPYMAX。」内「『新選組!』最終回について」のこと。以前にも引用させていただいたことがある。


つまりは木戸だ。終盤(「落日編」)以降の木戸の扱いがもったいなくも歯がゆいのだ。長州贔屓でもないわたしがある日ふっと「……そういえば,木戸って最近出てきてなくない?」と気づいた。初回から見ている視聴者(わたしのことだ)にさえ,その不在が気にならないものとされかけていた。


そこまで引っ張るならきっと最終回には何かでっかい役目を持って出てくるに違いないと思っていた木戸。……オムレツ喰ってる場合じゃないでしょう。喰っててもいいんだけど。「婚礼の日に」の演説んときみたいなずれっぷりはこのドラマの木戸さんらしくて良かったけど。でもー,でもー。もうちょっと,あとちょっとでいいからさぁ(ぶつぶつ)。


木戸(桂),嫌いでしたよ。個人的には。だって嫌味で偉そうぶっててたいそう鼻持ちならない感じ悪さでしたもの。主人公(近藤勇)を取り巻く“敵方”の人々の中で,最初はうざかったけど途中からわくわくさせてくれた坂本龍馬や,わかりやすい「敵」位置にありながらも「敵ながら天晴れ」というか(右よりなおいらには)考え方や行動原理は厭でもなんでもなかった大久保・西郷・岩倉・勝海舟(敵?)や,もちろん鴨は敵というより「超えるべき父」だったし,そういう人達と違って木戸のキャラはうざったかった(実在の木戸が嫌いとかじゃないから,念のため)。


だけど,あれだけ濃かった(存在感があった)だけに,いないのはいないで寂しいな,と。捨助みたいなもんか。……捨と一緒にしたらあちこちからつぶてが飛んできそう。


突然上記日記より引用。



「そのぐらいしみじみとやんなきゃ、最初から出てきて前半あれほど絡んでた意味が全然ないでしょーーーうッ!!」


そうだそうだー(尻馬)。


感想の後半部分も傾聴もとい……類義語わからん……すべき「あああ〜」という内容なのですが,すごすぎて尻馬にも乗れないので,それはそれで読んで感服させていただき,引用がらみの話はここまで。


で,土佐なんですけどさ。


「『薩長』×2ってばかり言ってるけど,最近出てくるの薩摩ばっかじゃん,長州どこいったのよ」とは「木戸さん出てこないよね」あたりで書いたことだが,この期に及んでもまだ「薩長に一泡」とみんな(例:尾形さん)言っている。もともと新選組v.s.長州の構図が根強いために彼らにとって「憎むべき敵=とりあえず長州」みたいな認識になっているのかもしれないし(新選組の京でのお仕事の様子があまりドラマ内で描かれなかったのでよくわからんのだが,長州征伐に近藤さん乗り気だったし,小競り合いの相手は長州っぽかったんで「仮想敵国」は長州だったのかなと推測),薩長同盟の所為で新選組が落ち目になったと考えれば恨んでも(?)当然だし,おそらく新政府の主軸がその二藩なんだろう(知らないよ)から「薩長」と言いたい気持ちもわかるのだが,ここんとこ長州は全然出てこないし,近藤勇を捕まえた後の取り調べで彼に辛くあたってんのは専ら赤もさもさ(=土佐)じゃん。


つまり,目先のこととして取りあえず恨みがましい目で見るべきは,薩摩&土佐じゃないのかしら,と。思うのだけど,土佐の土の字も出てこない。それとも「新政府軍の人達」の略称として記号的に「薩長」って言ってるってことなんかな。あぁ,そうかも。


ところで,直前に仕入れた付け焼き刃知識に拠れば,近藤勇斬首を強固に主張したのは土佐の谷干城だったとか。その知識を仕入れて最終回を見ていたけれど肝心の谷干城が出てこない。かわりに別の人(赤もさもさの「谷守部」なる人物)が妙に近藤をいびっている。……えぇ,谷守部と谷干城と同一人物と知りませんでしたので。所詮付け焼き刃。


その後さらにどこかからぱくってきた付け焼き刃知識に拠れば,谷守部はかの近江屋(現:近畿日本ツーリストなんとか支店/坂本龍馬中岡慎太郎遭難の地)事件のとき,即死でなかった中岡慎太郎から直接「犯人が『こなくそ』と叫んだ」証言を聞いた人なんですって。だからこそ坂本暗殺の下手人が新選組と信じていて,為に近藤への刑を重くしたがった。とな。


そんな事情はどうでもいいが(だいいち谷守部が中岡の証言を云々はドラマでは書かれていない)。……しまった,話が横道にそれすぎて何を書きたいのかわかんなくなってきた。(追記:書きたかったのは“「谷干城」をつい「たにかんじょう」と読んでしまう”ことだった。人の名前って難しい)。


基本的には「あるがままを受け入れる」スタンスで且つわりと冷めた目で見ていたつもりなので(あくまで本人がそう思っているだけ),「あれがああなら」とか「もっとああしておけば」は言いたくないのだが(でも書くのだが),今回の大河ドラマで残念だったことの一つが,「薩長」の登場人物の登場が入れ替わり立ち替わりだったことだ。長州は前半でいなくなりすぎたし逆に薩摩(と土佐)は前半出てこなさすぎた。それはドラマ中期からずっとひっかかってきたことだった。なにか意図があってのことと推測するが(色々出てくるとただでさえ複雑な人間・組織・政治思想関係が一層複雑になってややこしい,時間配分として「新選組」を描くことを重視,場面が切り替わって大物がたくさん出てくると「大河ドラマ」みたい,等々……)その意図はわたしにはわからず,少しぐらいは出した方がおもしろかったんじゃないかと思ってしまう。言っても詮無きことなれど。


これは,今以上に登場人物を増やしていてほしかった,という意味ではない。例えば超大物でも出てない人はたくさんいて(例:声だけの高杉晋作,話に上るだけの徳川家茂),おそらく名前も出てこなかった大物もたくさんいて,それは元々この時代の主要人物を知らないわたしにとっては有り難かった。新選組の隊士にしてもいわゆる幕末の尊皇攘夷の志士たちにしても如何せん人数が多い。中途半端にしか書けないならいっそ出さない作戦でいいと思う。


そうではなくて。オープニングでピンでクレジットされたような人達が,もう少し長いスパンで出てきてくれてても良かったかな,ということ。どうせ登場人物の総数は変わらないし主要キャラだから覚えなければならないのも同じだし。せっかくキャラ立ちしてただけに勿体ない。それに長州→薩摩→土佐と順番に「敵」が出てきたのでは「雄藩連合の新政府」の感じがあんまりしない。妙に小粒。……しなくてもいいのかもしれないが。それだけ寄せ集めても軍事力は徳川海軍が勝っていたのだったらなおのこと,敵がでかくてこわいんだ,という感じは出さなくてもいいのかもね。


キャラ立ってはいたんだけど,ねぇ。そう,何が不満って,要するに,いつのまにか大久保一蔵どんがいなくなっていた(それに気づかなかった)という,それだけなんだけど。


ところで話は飛ぶが。有馬藤太が近藤勇に対して言っていたセリフ,細かくは覚えていないけれど,「勝ち組の新政府が一時の感情で裁くのはアンフェアであり,あなたは身柄を京(=中央)に送られてちゃんと吟味されるべきである」といった内容。ここはすごぉぉくWW2(違う?)の後の極東軍事裁判を意識した。有馬藤太という名前,憚りながらドラマが初見だったので(本などで見たことがあっても記憶にない)歴史上の有馬と近藤のやり取り(関係)を知らない。なので,狙った脚本なんじゃないかしらと考えてしまったんだけど,狙ってないなら有馬藤太恐るべしだ。