寝る前に一つだけ


NHK大河ドラマ新選組!」に於ける斎藤一の年齢に関する考察(の下書き)


(もはや,not視聴者の読者を完全無視しているが今に始まったことではない)


関連書籍やほかの創作物で知っている人ならばたいてい思い込んでいるだろう。わたしも何度となく書いてきた。曰く,斎藤一は最年少組,斎藤一は沖田より年下,云々。


しかし果たして本当にそうなのだろうか。


過去に実在した(とされる)人物と同じ名前で設定の多くがかぶっているキャラが登場すると,その作品中には出てこないデータについては実在の人物に関する他の史料からひっぱってきてしまう。


その行為が間違っているわけではないのだが,あくまでこれはフィクションのドラマで,たとえば阿比留鋭三郎や野口健司が死ななかったように登場人物の生死についてすら時には「ぎりぎりアリかも」の線で一般的に認識されている事実と変えてきている。


であれば,年齢の設定が違っていたところで不思議はないではないか。


と,#46を見て思いました。


いちいち挙げれば切りがないが,史実的設定で考えるには不自然な場面は幾らでも出てくる。その「史実的設定」すら,生まれた時点では歴史に名を残す人物になるかどうかわかんなかった生まれの人間の生まれ年が後世にどこまで正確に伝わっているものなのかわたしにはわからんのだが,さすがにそれは何年もは違わないだろう。このドラマの斎藤一は,平助よりも上か下かといったこんまいレベルではなく不自然である。


近いところでは,今週の土方に対するタメ口のたたき方,その前の週,沖田が斎藤に敬語を使っていること。


年上の上司にタメ口たたくのは斎藤のキャラならありかと思うが。タメ口どころか「取っておけよ,新選組はあんたが作ったんだ」と半ば命令口調ですがそれもあり。沖田も憧れなり尊敬なりの念を抱いていれば,自分より年下で後輩の人間(ポストは同格)に対して敬語もなくはない。実年齢より大人っぽい容姿や態度がそうさせるということは十分にありうる。


でも,なくはないけど斎藤の年齢が沖田より上と考えるとより自然だ。


そもそも配役発表の時点で,今回のキャスティングは実年齢を重視して行ったと脚本家自身が言っているのに,そして実際そんな感じの配役になっているにもかかわらず斎藤さんはその例外の1人だったのが気にはなっていた。例えば永倉新八役の山口智充氏も永倉の実年齢や周囲の配役との年齢関係からすればかなり上だが,永倉登場時に彼の見た目と実年齢のギャップを作中でネタにして消化していた。それなのに斎藤の年齢ネタは見かけない。


録画がなくて確認できないのが残念だ。今回の大河ドラマ中で斎藤一の年齢に触れたことってあったっけ? あればそれでいいけど,ないなら,必ずしも斎藤一藤堂平助なみの年少組とは限らない。少なくとも視聴者が見ている範囲では年齢を示す証拠がないのだから。


昔の話に遡ると,近藤勇斎藤一(当時は山口一)の出会いのころ。礼儀正しい青年だった若き日の近藤先生は,2度目に会ったとき彼を「山口さん」と呼んでいた。次に京都で再会したときもしばらくは「斎藤さん」と呼んでいた(その後「斎藤君」かな)。


史実的斎藤一さんは永倉さんより6つか7つ(調べずに書いてます)年下だったはずで,となると近藤局長とは7つとか8つとか9つとか年下のはず(調べずに書いてます)。出会ったときには斎藤もとい山口さんまだ10代。現代の感覚とは成人年齢が違うからわかんないけど,見た目,はっきり自分より年下に見えるんじゃないだろうか。それとも初対面の場面で借金取り立て人をしていたわけだし,ふてぶてしい顔つきも(人生が顔に出るからな)あってぱっと見では年齢をわからなくさせていたのかな。


そこまで年齢差があって「さん」付けしたものだろうか。年齢はきかなきゃわかんないので取りあえず「さん」というのは無難な社交術ではある(その後年齢を知って「君」になる,と)。それとも浪人(お侍さん)ぽいので勇の農民的出自がそう言わせたか?


これら諸々考えると,沖田と永倉の間ぐらいの年齢設定というのが,尤も自然に見える。土方とか近藤とか平助(いつでもだれにでも丁寧)とかとの呼称や口調はどうにでもなるが,ゆいいつ,沖田との会話がな。むか〜し,「人を斬ったらどんな感じ?」なんて訊いていたこともあったっけ。「お前はメシを食うときにいちいち何かを感じるのか」とえらそな斎藤。


沖田の斎藤に対する視線は,「あまり年が変わらないのに大人」の斎藤に対する尊敬と憧れに見える。沖田よりも年下ではないんじゃないかと,と,思うのだ。かといって,近藤や土方と同じぐらいまで年上ではないかな,とも。