「新選組!」(再)


てゆーかさー。初見でも感じたが,近藤勇松平容保京都守護職に向かって喋っていた主戦派理論はどうにも不愉快だ。


近藤勇は鳥羽伏見のちょっと前ぐらいから妙に好戦的で,幕府の偉い人達に対して幾度となく「戦って勝つしか道はない」と進言している。曰く,今の旧幕府軍の戦力ならば勝つことができる。今は賊軍だけど賊軍にならない方法は勝って錦の御旗を取り返すしかない。


「勝てば官軍」の言葉もあるとおり,その理屈はわかるのでその辺までは彼の主張も一理あると思って聞いていたのだが,あれはいかん。つまり「今まで御公儀のために尽くしてきた人々の思いは」だの「鳥羽伏見で死んでいった者達の無念は」とか,それを戦争続行の理由として持ち出すのは,わたくしは賛成しかねる。どころかまったく気にくわない。


わたしが賛成する必要はないんだけど。


近藤先生,あなたは何を考えておいでか。


安房守もおおせではないか。上様(慶喜だ)が名君として後世に名を残す唯一の方法はここで恭順して戦争をこれ以上続けないこと。これ以上犠牲者を増やさないこと。それしかないのだよ。戦争を続ければ犠牲者は増えるし,その結果も負けてしまったらその時慶喜自身と旧幕府方の面々の処遇はどうなることか。そうなれば「あそこで上様が戦争をお続けになったから」と旧幕府方の面々(の遺族)からの慶喜評もさんざんなものになっただろう。


近藤先生は「賊軍にはなりたくない」だけをお望みらしい慶喜公をそれ以上ご立派な賊軍にしたいのか。や,もちろん近藤は勝てると思ってるんだよ。勝つつもりなんだよ。勝てば官軍なんだよ。負けた場合のことはこの際考えていないんだよ。そして勝安房守も同意見だったからには勝てる戦力はあるらしい。それでもわたしは厭じゃ。


戦争を続けることは,それが意味のある戦争であっても意味のない戦争であっても,一様に,死傷者を増やすことになる。今までの戦いで死んでいった者達が犬死にだからここで引くわけには行かないという理屈は,頭が既におかしくなっているとしか申せません。死んでしまった人達の為に生きている人間の犠牲を増やしてどうする。


などと頭の中に鳩飼っているようなわたくしの気分は現実の前では何の力も持たないことも,そうは言っても戦わなければならないときも,あるのだろう。あるのはわかるのだが,戦争の理由としてそれを持ち出すのは,彼が心の中で思うのは自由だが公的見解として上司に訴えるのは,間違っているんじゃないかと思うのだ。しかもそこで「あなただって悔しいでしょう?」と問題を松平容保自身の悔しさという,言ってみれば弱みにつけ込む形にすり替えてしまったのは,ずるいとしか言いようがない。


直球・誠実がモットーの近藤,意識してやってるのでも充分腹立たしいが,素で言っているなら観ている側としては腹立たしい通り越して空恐ろしい。おぞましいというか。


もっと論理的というかビジネスライクな理由で戦争続行を主張しているのなら納得できるんだけど,感情論ってのがなんだかねぇ。でも人は結局感情で動くんだな。かたもりちゃんも自分の悔しさに言及されたからこそ膝を突いて涙を浮かべるに至ったわけだし,人を動かす一番は人の心なんだな。それに「悔しいから殺しちゃいました〜」より「個人的恨みはありませんけどお金欲しくて殺しちゃいました〜」の方が罪が重い(んだよね?)んだから,「ここで引き下がるのはプライド許さないんで戦争続けたいでーす」も裁判に出たときれっきとした理由として認めてもらえるかもしれないね。


あたしは気に入らないけど,それはあくまでわたしの感情(これも感情だ)でしかないから。


アンタの一存で死ぬのはアンタだけじゃないんだよ。他の人間が死ぬんだよ。自分の味方を殺そうとしているんだよ。どうなのよ。


血の気が多い人嫌い(ぁ)