ほりぃんとこの引用




それにしても、好きな音楽がモーツァルトの「交響曲第40番」とメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」か…。なんか、「正しく育ってます」ってかんじだね。ひと昔前の映画に出てくる「深窓の令嬢」みたいだ。きっとサティやショパンピアノ曲が好きで、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の音楽やシュトラウス・ファミリーのウィンナ・ワルツを愛しているに違いない(ものすごく勝手な先入観)。


(審美眼養成日誌12月7日)


高校生ぐらいまでは演奏する側として音楽を身近にしていた生活だったにも関わらず,聴く側としては常識・世間並みのレベルからは遠く隔たっていた,という過去話は何度もしているので今更だろう。


モーツァルト交響曲第40番が「どこかで聴いたことがある気がする(たぶん掃除か最終下校の時の音楽)けど曲名や作曲者は知らない」曲でなくなったのは今年の1月のことだし,メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は,中学生か高校生の時にそれと知らず聴いていたがそのことは忘れていて,それとは別に曲名(というか存在)を知ったのはおそらく大学生のころ,それと曲とが結びついたのは……調べるのめんどくさいのでひっくりかえさないけど,これも今年のことでしょう。


サティも「くるみ割り人形」もシュトラウス・ファミリーのウィンナ・ワルツも知らない。もっともサティ(ジムノペディぐらい)とくるみ割り(花のワルツ←でよかったっけ? ぐらい)は,知らないわけじゃないから,聞けば「あぁ」と思うけど。


しかし,それでもなんだか言い当てられている気がする。そのような曲を聴いて育ってきたわけではないのに,だ。あなおそろしや。


これはつまり,そういう曲を好きだと思う感性が,「正しく育っ」たことによって培われる類の感性である,ということなのかな。だとしたらものすごい洞察力だ。ただしわたしは「深窓の令嬢」ではなく「箱入り娘」。


上でショパンピアノ曲だけ外しているのは意図的で,ショパンは好きだった。弾く方で,だけど。「弾くのが好き」といえる技術は持ち合わせていなかったので,「いつか弾きたい」と思っていた曲がショパンの曲に比較的多かった,というのが正しい。


ピアノ曲で好きなのは(といっても例によってほとんど知らないし,積極的に聴こうとも思わないのだけれど)ベートーヴェンピアノソナタ「月光」(のいちばん有名な楽章)「悲愴」(第一楽章)。あとはショパンの「幻想即興曲」と「革命のエチュード」ぐらいか。「夜想曲」のop.2の方は(かつて)弾けて好きでもある数少ない曲(だった)。


メンコンを「好きなのか好きじゃないのか」と書くのはメンデルスゾーンの名前にいい思い出がないからで,これも前に同じことを書いた気がするけれど,メンデルスゾーンはわたしがピアノをやめるきっかけ(は大げさ)になっているはずなのでその名をきくと反射的に「うっ」となるのだ。といいつつ今日もメンコン聴きつつ書いているのですが。あれは何の曲だったかなぁ(一覧が載っているWikipediaを見ても全く思い出せない。さすがにロンド・カプリチオーソではないだろうから,なんかの変奏曲だったような。♪みれみっしっどっしっふぁっらっそっれっふぁみっし〜 という出だしの曲←何を期待しているのか←と前も書いて空振りしたような)。


23時すぎから小一時間中断しているのでブツ切れ。毎度のことだけど。平日はたいていその日じゅうにはアップできない。それは電話のせいではなく,電話がなかったらないぶんだけたくさん書いてしまうので,結果的にはほとんど日付が変わってしまう。


日付をまたぐのは気持ち悪くてほんとうはあまり好きではない。0時回ると日付が変わるという認識でいるのだが,タイムスタンプは書き終わりではなく書き始めに揃えることにしているので(書き終えたあとで上に行を戻して日付とタイトルを書くのが面倒だから),いつも日付は書き始めの日にち,終了時刻は0時台,といった妙なことになって,一日に二度書いた場合などいつ書いたのか(どちらが古いのか)わかりにくくなるのが難点だ。


ちかごろ終了時タイムスタンプをやめているのは,めんどくさくなった以外にそういう理由もある。