続・男子ファイナルラウンド


土曜の日記に「サントリーが嫌いなわけではないがベスト4から排除したい。」と書いた。翌日のNEC−松下の試合を,手を抜くという意味ではなく控え組に実戦経験積ませたら? とも書いた。ら,本当にその通りになった。


だけど,負けを狙う意図があったかどうかは外野にはけしてわからんよね。確かにややbチーム気味だったけど,前日の合成戦もそうだったんだから,相手とは関係ないんじゃないかと思う。


それに,一方のJTサントリー戦のJTだってややサブ気味のメンツだった。つまりJTも同様に消化試合仕様で,少なくとも鬼の復讐心でもってサントリーのベスト4を是が非でも阻止しようとしてはいなかったということ。結果もサントリーが勝ったしね。


だから,条件としてはそんなにアンフェアではないでしょう。それ以前に,命運を分けたのは,2月12日の松下−サントリー直接対決に尽きると思いますが。


そんな言い訳がましい考察はともかく,この方も同じようなことを考えていらしたと知って,わたし一人ではなかったと胸を撫で下ろし,なんだか味方を得たような気分にさえなったものだ。しかも,超適当に印象で書いたわたいと違い,きっちりここ5年間の実績が踏まえられている。さすがだー。


決勝ラウンドでのサントリーの強さというのはそれはそれはもう相当なものだったから,別にNECだけがサントリーの所為で優勝なりファイナル進出なりを阻まれたとはわたしは思わないんだけど,だからこそ他のチームのファンも同じようなことを思っているんじゃないかと考えたわけだけど,とにかくそういうことだ。


ところで,かれこれ6年の間サイト(日記や試合観戦レポート)を読み続けているせいですごく馴染みがある気に一方的になっているけれどROMなのでご本人とは一面識もない。彼女の言いたい放題なんだけど根底には愛情がある試合観戦レポートが好きだし,やや松下贔屓の傾向(及び贔屓選手)がかぶっているのでそれも嬉しい。そんな感じでファンサイトのファンというわけわからんことになっているわたくし,昨日ついうっかり調子に乗ってライブストリーミング配信のくだりでつけつけとトラックバックを送ってしまった。後になって猛烈に緊張。考えてみれば,バレーボールの話題を書いても誰も読まない(日頃の読者には読み飛ばされる)わたしの日記と違って,多数の読者がいるんじゃないか。畏れ多し。


それにしても,自分が応援しているチームが負けるのを望むってのも,そうそうあることじゃない(ただし,野球を見ているとたまにある。つまり「ここでヤクルトが勝ったら○○の優勝が決まる」ってパターンだね)。冷静に考えてNECが負ける方がいいと分かってはいても,負ける姿は見てて気持ちいいもんじゃないね(サーブレシーブ返ってなさそうなんだもんよぅ)。何より,先行きが不安で不安で。はぁ〜。


と,ここまで書いてリンク張るべくURLを調べに覗きにいったら,更新されていたのでもういっこ。


んんんー。まとまってない上に深夜(つまりめちゃくちゃ書きそう)だけど書くよ。


特定チームのファンって,そういうもんだと思いますけどね。


上にも書いた「ここでヤクルトが勝ったら○○(ヤクルト以外の不特定球団)の優勝が決まる」パターンは微妙に複雑な気持ちぐらいで済むけど,「ここでヤクルトが負けたら確実に○○(特定球団)の優勝を阻止できる」試合だったら,平然と「負けてくれ」って思うし。あ,それとこれとは話が違うか。とにかく,観客は観客でも一人一人立場が違うしそれら観客の立場は観戦の対象となるプレイヤーの立場とも合致しないということ。でも客は往々にして身勝手。そういうもんだ。


おまけに(これはこの話とはあまり関係ないけど),Vリーグの試合会場ではそれら立場の違う観客が入り乱れている。これが野球やサッカーの試合会場と異なるところであり,しばしば不要なストレスの種にもなっている。前の日曜日わたしは東京体育館二階南側西寄りのスタンド自由席で試合を見ていたのだけれど,斜め前に座っていた人が熱心な東レのファンだったのでちょっと困った。運の悪いことに第1試合の東レの応援席が第2試合のNECの応援席だったので,わたしも彼女も,自然な選択の結果として応援団席に近い自由席を選んでいたわけだ。


よい席で見たいなら,試合間には席移動せずにメインの試合に合わせて最初に場所取りをするわけで,第1試合ではどちらかといえばJTの応援をしていたわたしが些か場違いな雰囲気で,だからできるだけ大人しく見ていようと最初は思っていたのだけれどもまぁほれ,ってことになるし,第2試合ではその人はこれまた熱心に旭化成の応援をしていたためにわたしは斜め上から殺人光線を送ることになった。


これは1日2試合いっぺんにやる以上避けがたい現象。もっと言えば,指定席になると完全にチームごとの区分けがないので,同じ試合で隣の席と火花が散ることにもなりかねない。火花を散らさずオトナな態度で観戦しましょうってことか(火花散らしたいなら団席に行けと?)。んな無茶な(で予算以外の理由からも自由席が多くなる)。で,この時ばかりはサッカーみたくホーム側とアウェイ側と完全に分けることはできないのかと思ったものだった(まぁ,ならんだろうな)。


なんの話だっけ。そうそう。去年のオリンピック予選からオリンピックにかけて,わたしはさんざん「“応援する人”になっているマスコミが気持ち悪い」だのなんだの書いた。わたしの持論では客の立場は「応援する人」と「観る人」にざっくりと分けられる(ただし,その境界は曖昧で個々の定義もはっきりしない)。わたしはオリンピックの報道で外から「応援する人達」を見て思いっきり引いたけれど,わたしにしろうたこさんにしろ,ことNEC(の今の時期)に関しては「応援する人」なのだ。「応援する人」と「試合を見る人」は違うので,意見が違うのは当たり前。そしてそれはどちらが正しいとか間違っているとかではないのだ。すまんがそう言うことだ。(ただし,「観る人」にとって「応援する人」はドン引きの対象にはなってるってことだけどね)。


しかしそれらが一つ屋根の下で或いは隣の席で共存しなければならない。


難しいわな。