風が出てきた


部屋が蒸しっとしていたので空気を入れ換えようと窓を開けたとたんに,部屋の中に霧雨が降った。朝は風はなくて雨が多かったけれど,今は雨は小降りになっている。たまに木が音を立て始めた。


扇風機は首振りにすると途中でぎりぎり音がする。たまに当たるぐらいが気持ちいいのに。


朝ご飯はスクランブルエッグトーストとレタスサラダ(カット済みの売変),POKKAのインスタントきのこポタージュ。


昨日MRA(もりろぐあかでみー)を見に行って過去の記事を遡っていたら,7月1日にスバル氏が夕方からコンサートに出かけていた。何のコンサートかはわからない。同じ会場にいたかもしれないと思うと不思議だけどそうではないかもしれない。


戸籍制度は現代の日本の実情にはあまり適合しないかもしれない。平々凡々と日常生活をおくる上では戸籍が取りざたされることは滅多にないだろう(パスポートや運転免許取得時の身分証明程度であれば「戸」が単位である必要はなさそう。実際ほとんどの申請が抄本(一部なんちゃら)でOKだし)。しかし現状では,戸籍があるおかげで結婚できているカップルも存在している。一方では戸籍のせいで法律上の結婚ができないカップルもいるだろう。


個人的感情においては,夫妻で本籍地を同じにするとか氏を同じにするとかはどうでもいい(意味がない)と思っていて,そこを揃えなければならないのは結婚に際し大きな障壁だ。そういう点では今の戸籍制度に全面賛成しているわけではないが,すっかりペーパー結婚状態が定着しつつある自分の身を振り返って,戸籍の概念を廃するのであれば,かわりに法的にカップルを登録するしくみはあってほしいと思う。でないと自分が結婚を維持できない。ついでに同性カップルも登録できるようにしておくといろいろと良いこともあるんじゃないだろうか。結婚に準じる制度をつくればつくったでそれに伴う諸問題は減らないだろうけど,かといって全て自由恋愛として法律や行政は一切関与しないというのもあまりに非現実的で,そうなると今度は何か事が起きる度に全部司法関係の人たちが一から仕事することになってしまうだろう。それもどうだ。


法的な結婚とは別に社会的な(一般に人々が思い描く)結婚に目を向けると,人々のものごとに対する認識やら概念やらは一朝一夕には変わらないことがわかる。日常の社会生活の端々に旧民法家制度的家族観が登場することは多いし,それは大げさな例にしても,「結婚とはカップルが一緒に住んで,」ぐらいまでは,若者でも思うことだろう。


もっとも,旧民法的家族観による「結婚したら一緒に住むもの」と,恋愛至上主義の今時の若者の「結婚したら一緒に住むもの」は,結論は同じでも動機(根拠)は随分違うようにも思う。恋愛結婚が幅をきかせるようになった昨今,ずっと一緒にいたい(はぁと)相手と正々堂々一緒にいるために結婚する,という動機も多いだろうから,それなら一緒に住むのは当たり前(好きな人とできるだけ長い時間一緒にいたいというのはとても自然な感情の流れだと思う)。それは旧来の結婚観とは違う新しい考え方なのかもしれない。しかし,ここで問題にしたいのは結果たる家族観が類似であり,その類似した家族観が長期にわたって維持されていることである。


現代社会の実態をみれば,生涯の伴侶を誓いたくても,それと「一緒にいる=住居を一にする」ことが合致しづらい人もいるだろう。周囲には遠距離交際やら短期遠距離結婚やら長期遠距離結婚(わたし自身のことではない。その人は子どももいる)やらがごろごろしていることを考えてもけしてレアケースじゃないと思う。その原因やら背景やらはいろいろ書いてみたら長くなったので割愛するが,「一緒に住む」ことによらない生涯の伴侶というパターンはこれから増えていくのではないだろうか。


一緒に住まないカップルが増えれば次第に社会的に認知もされていくだろうが,その道のりが長いことは想像に難くない。現状の社会通念における「結婚」観を共有・実践できる人には,実態にそぐわない(実生活にかかわってこない)戸籍制度は無意味な存在にうつるかもしれないが,社会的にわかりにくい結婚形態を取っているものにとっては,お役所にある書類が唯一の結婚の証明である。あとは自分から積極的に周囲に言いふらすぐらいしか方法がない。自ら喧伝したくない人にとってはお役所書類が唯一無二になる。一緒に住みもしないし周囲に言いふらしたくもない結婚って結婚って言えないんじゃ? って突っ込まれるとどうしようもないが,人にはあまり知られたくない(社会的通念に則って解釈されると不都合が生じるなどの理由で)けど何かあったときには夫婦として公的な保障を受けたい場合もあるかもしんないじゃん。


いずれにせよ難しいのは,子どもの問題だろう(介護の問題は少し争点が違ってくるのでパス)。ここまでは敢えて単身世帯もしくは2人世帯のどちらを選択するかに悩むだけの若いカップルに限定して話を進めていたが,結局,夫婦が一緒に住む(必要がある)一番の理由は育児だろう。片親の子もいるし片親がだめだというのではないが,生まれてすぐの手がかかる乳児を傍らに一人で生活費を稼ぎつつ子どもの食べる物やら着る物やらの世話もするというのは,ちょっと考えただけでもそうとう大変そうな(ほとんど無茶に近い)話で,子の両親が一緒に住めるのであれば,一緒に住んだ方が遙かにいいだろう。もちろん,生活費は稼がずともよく育児に専念できる環境であれば育児ノイローゼの心配だけでよくなるが,夫婦別居した上で子も含めた3人分の生活費を賄えるって,育児しない側が高給取りなのかそれともなんらかの財源があるのか,ともかくそれってどんなお金持ちやねん。そうそうある話ではないだろう。長じてからはますます子にお金がかかるようになるし,保護者としての仕事も多くなる。乳児に比べれば手がかからなくなるとはいえ,2世帯構えて親が別居するのが厳しいことには変わりないだろう。


そして再び話を法的な面に戻すと,「戸籍」の概念をなくした場合,子の氏をどうするのか,未成年者の保護者(親権者?)をどうするのか,これは夫婦別姓問題の争点の一つでもあるし,少し前に世間(?)で話題になっていた諸問題などもあり,考え合わせるとそうとう厄介だ。カップルだけの問題なら,婚姻した事実と相手の名前をそれぞれの個人のなにかに記載すれば十分で,別れたり他の相手と再びくっついたりした場合もひたすら双方の訂正・追記を繰り返せば済むことである。しかし,子は遺伝子上父母があり,それと一致するしないにかかわらず,未成年のうちは責任を持って養育するところの保護者が必要とされる。現状では自動的に戸籍筆頭者が保護者代表になっている(と思うけど知らない)が,個人単位で管理する場合は,父母のうち代表者をどちらかに決めてその代表者の氏を名乗ることになるだろう。代表者をどちらにするのかを「いつ」決めるのか。遅くとも出生届を出すまでには決めるとして,途中での変更をどの程度認めるか。成人後の改姓は可能か(改名に準じて改姓のルールを設けるのか,一切不可とするのか)。その他,父親不明の場合,両親と死別した場合,養父母の場合(途中から,も含む),両親が死別または離別した場合,さらに親が再婚した場合等については今もある事例ではあるが,しかし,最初の出だしが変わるといちいちルールを決めなおさなければなるまい。


仮に「戸」籍という形態ではなく個人単位で国家が国民の情報を管理するとしても,そこまでややこしく情報を入れていくのであれば,それは現状の戸籍とほとんど変わらないものになる上,ばらばらに管理されている複数人の記録を都度探し出して書き換えることになるわけだから,現状の戸籍よりも手間と管理が煩雑になる(電子情報で管理すればリンクが簡単に張れるとはいえ)。その新しいしくみの立ち上げと国民への周知徹底,データの移管・運営にかかるコストを考えると,それだけの税金を余分に払ってまで変えたいと思う人がさてどれだけいるでしょう。


奇しくも,現代の若者の個人主義(良い意味でも悪い意味でも)と自分の自己中心的な考え方が如実に表れた短文になった気がする。


2時間以上だらだら書いているあいだに風も雨も止みました。台風今どこ?