うれしかった贈り物(作文風)


昨日,今担当している仕事のクライアントの担当者から思いがけない贈り物をいただいた。職場近くの雑貨店のちょっとした食料品と,裏にメッセージをさらっと書いた絵葉書。それも人伝に渡された程度のさりげなさなんだけど,これがもうものすごく嬉しかった。組織の人間同士が担当業務としてやっていたことなので,もちろん会社として相当の料金は請求しているしあちらも会社として支払っている。仕事自体はその人のお陰でとてもやりやすかったから,受託の範囲やら請求額を大幅にどうこうということもない。単に業務が一段落して無事商品もリリースできてありがとうございましたという主旨。そんな,いつもの仕事の範疇で何かいただけるとは思ってもみなかったので,動揺してしまった。


同じ業務に携わっていたウチの派遣社員さんが昨日で最後だったので,そちらへの慰労ついでにわたしにも,といった経緯だろうとは思うのだけれど,それでも嬉しい。お二人でどうぞ,ではなく個別にいただいたのもまた妙に嬉しい。いずれ一緒に仕事をする機会があれば,次も(もっと)がんばろうと素直に思える。ええ,現金でお調子者ですとも。


このように贈られるのは好き(嫌いって人はいないと思うんだが)なくせに,自分が贈り物をするのはとにかく苦手で仕方ない。苦手意識が先に立つから当然うまくいかなくて,さらに苦手意識が強まるスパイラル。自分が貰う側になって考えれば,何かしらあるのとないのとでは全然違うし,あれば物自体は何でも嬉しいっていうのはわかるのに,逆の立場だとあれも駄目これもきっと駄目と閉塞感でいっぱいになって身動きが取れない。つまり昨日は,わたしもその派遣さんに何かをしなくてはならない(という書き方に既に重圧感が現れている)立場だったのに,4月は他業務が山場を迎えてそちらにかかり切りになってていたこともあって今月で終わりという現実感もなければそれに向けて準備する余裕もないままあれよあれよと時が経ってしまい,つまりは現実的な残務の引き継ぎ(の準備)さえも間に合っていなくてどうしようって感じで,まあそんなこんなが積み重なったのかよりによって昨日の朝方体調があまりに優れず午前中(という名の14時まで)休んでしまう為体。どうにもならん。有り難いことに,前夜(ええ前夜ですとも)相談を持ちかけていた他の人が気を利かせて花を注文してくれてて,何もなしだけは免れたわけですが,結局人に頼っちゃってるところがどうにもこうにも。ナマモノを贈るのでないなら,先週末の休日を家でぐだぐだしていた間でも,それ以前の精力的な週末にでもどうとでもできたんだから,先が見えていないというのも原因の一つではある。


それでも(人の気配りに頼っているという点はさておき)お花は用意できたんだからいいじゃないかと前向きに考えられれば,もう少しは重くなく向き合えると思うのだが。


とかなんとか,贈る側がめっちゃしんどいというのがわかるからこそ,いただくとしみじみ有り難い気持ちになる。しかし一方で,通常であれば贈り物をする場面で贈り物をしないのは横着して労を惜しんでいるだけと取られても仕方ない。特に贈られ物に対するお返しは「せねばならない」ケースが多く,気軽に処理できればいいんだがドツボにはまることも少なくなく,いやもうほんとごめんなさい。面倒がってるのではなくてどうにも苦手なんですよとこんなところで言い訳がましく書き連ねてもそれこそ仕方ないんだけど,とはいえどこかに「めんどい」って気持ちがあるのかもしれず,ぐちぐち。うじうじ。


こういう贈答の慣習は,幼いころから周囲の大人を見たり子ども同士で行ったりしながら学習して身につけていくものなのだろうが,自分が学習環境に著しく恵まれなかったわけでもないのにこんなんなってしまっているからには,周りの風習だけでなく本人の性格に因るところが大なんだと思う。妄想だけ肥大化して実行にうつせない(うつさない)のは贈り物に限らず子どもの頃からの悪い癖なので,もはやどうしようもないのかもしれぬ。