見られない


昨日,先の全日本インカレ男子準決勝東海大−中央大の一戦の再放送があった。録画はしたのだが,そして,帰宅してプレーヤの電源も入れたのだが,どうしても見る勇気が出なかった。


テレビ放送された試合を見れば,現地でリアルタイム観戦していたときの「ひょっとして行けるんじゃ?」という期待感から決着がつくまでの間の忙しなく移りゆく心持ちやら,試合後応援席への挨拶で整列したときにしきりにタオルでぬぐっていた某選手の顔やらをも一緒に巻き戻し再生することになる。それがまだちょっと辛い。それともうひとつ,(観もしない内から決めつけるのもアレだが,3位決定戦のカメラワーク等から推測するに)先のオリンピックベンチ入りメンバーだった大学生2人がそれぞれのチームでキャプテンとして迎える大学最後の(除東海大天皇杯)集大成の大会で直接対決,という,ここで盛り上げなくてテレビ的にいつ盛り上げるんだという分かりやすい対戦カードだったがゆえ,番組のつくりがうっすら想像できてしまい,観る前からややおなかいっぱい気味に思えるという理由も,ちょっとある。


しかし,よもや自分が東海大−中央大のカードを中大贔屓で観る日が来るとは思わなかったよ……。適当というか現金というか,自分でもよくわからないのだが。もともと大学のチームで強いてどこか挙げるとすれば東海大だったし(他が全く分からないとも言う),とくに今年の秋季リーグとインカレの準決勝で観た東海大の各ポジションの構成のバランスの良さは美しいと思うし,その巧さや強さもいいなあと思ってるんだけどね。秋季リーグを東海が圧勝したから,判官贔屓の意味で中大に寄っちゃったっていうのもあったのかもしれない。もっと言えば東海大日体大日体大寄りだったわけで,言ってみれば,昔はサントリー好きだったけど,みたいなものかもしれない。


でも,そういう理由とは別に,あのへんとかこのへんの所為(所為?)というのはある。絶対ある。そんなこともあってもいい。ぐるっと一周して,選手ミーハーの世界に戻ってきた感じがする。素直に。ミーハーというと聞こえがあまりよろしくないけれど,下知識のない状態でぱっと観たときに個々の選手のプレーや試合中の様子が際だって印象に残ること自体はこれっぽっちも不自然ではない。


それにしても,長らく「大学」とは縁がなかったし積極的に縁をつくる予定・機会もなかったところが,今シーズン初めて大学生だけの大会を見るに至った。これについては,なんだかんだ言っても「全日本」が自分に与えている影響は自分で考えているよりもずっと大きいのだろうと推察しないわけにはいかない。表層の意識はけして全日本選手がいるから観に行ってみようではなかったのだけれども。


ということで,一方今日再放送された準決勝のもう1カード,日体大順天堂大はリアルでの心の動きを追体験しなくて済むので何事もなく見られると思う。現地で見ていないので楽しみ。待ってろ高松。