ネット上の性とジェンダーみたいな何か


SNSTwitterなどのサービスを利用していると,ネット上だけでの交流やゆるやかな繋がりがある人の数が増えてくる。(ネトゲはしてないのでこの項では扱わない)。


レベルはさまざま。はてブで同じ記事をブクマしてる事が多いだけとかTwitterで相互フォローしてるだけ程度の「あの人通勤電車で同じ車両で見かけるのよね」レベルや,ブコメに☆をつけ合ったりTwitterでふぁぼりあったりの「なんとなく目があったら目だけで挨拶とか会釈とか」レベルでも,なんとなくその人の為人は窺える。


はてブでid言及したり,ブログにコメント残したり,@を飛ばし合ったりしはじめると,直接交流を持っていると言ってもいいだろう。


それが複数のサービスにまたがり,複数年が経過すると,一度も会ったこともなくても直接のメール等のやりとりがなくても,まるで旧知の仲であるかのように錯覚してしまいがちである。特にTwitterは文字通りぴーちくおしゃべり状態になりやすいし,一つの話題について議論が発展することもある。


ここまでが前振り。


さて,はてなの隅っこにIDを取って約5年半,Twitterを始めて約3か月。いつごろからかは忘れたけれどそれなりに長い期間ゆるやかーな(道端ですれ違ったときに時候の挨拶をするぐらいの)繋がりがあるとある人の性別が,今まで思っていたのとちがうのではないかという疑惑が,ここ数日で急に湧いて少し戸惑っている。


簡単に言うと,男性だろうと思っていたのだけれどももしかして女性かもしれないと。そして,振り返ってみると,女性だと考えるとつじつまが合いやすい部分も多い。


このことに二点ほどショックを受けている。

ひとつめ:なぜ男性だと思っていたのか。


ネット上でゆるやかな繋がりのある人というのはたくさんいる。それらの人達に対して1人1人「この人は男か女か」を気にして調べたりはしないし,その必要も無い。しかし,改めて振り返ってみると,よほど薄い繋がりでない限り,無意識のうちに,この人はたぶん男・この人はたぶん女,というのを判断していることに気がついた。


本人が明言しないかぎり,全ては自分勝手な判断による。ではその判断基準は何か。


・場


・話題のジャンル


・身の回りの人物への言及(人間関係)


・アイコン,アバター,ブログ背景等のデザイン,カラーリング


・文体(口調)や一人称


・特に判断材料がなければ,原則として男性


たぶん上から順に優先度が高い。


1番目は,たとえば数字板や小町なら女性。


2番目は,たとえば男子バレーで選手個人にきゃっきゃ言ってたら女性。


3番目は,彼/彼女その他は三人称代名詞でしかないし恋人が同性の場合もあるけど,無意識に異性愛を前提にしているところはある。夫/妻は確実性が高いだろう。


4番目は,極端な例だとピンク・オレンジ系のパステルカラーでお花が飛んでたら女性。逆にモノトーンでシャープでも「女性向け同人」風テイストもある。どんなのかと言われても雰囲気としか言いようがない。


5番目,文体。インパクトは強いがあてにはならない。小説の人物が不自然なほどに「男らしい言葉遣い」や「女らしい言葉遣い」をしているのは,口調を極端にすることによって誰による発言かを分かりやすくしているからだよね,と。実際女性が素で発言したときの口調や素で書いたときの文体って,それほど「女らしさ」が出るものだろうか。


6番目。インターネットユーザは男性が多いというのはもはや事実として全く正しくないのだが,情報工学に強い=男性が多い,という思い込みはぬぐえない。学生時代,自分のインターネット黎明期に自分の周りに(ネット上ではなく)いたのは男性ばかりだったのだ。インターネットと関係なく当時自分の周りは圧倒的に男性が多かったのだが。ともかく「女性と思われる要素がなかったら男性」ぐらいの勢いで判断している。


いずれも,こうして挙げてみると,不確実で非論理的な根拠であることがよくわかる。


今回の件は「この話題ならおそらく男性だろう」と最初に思い込んでしまったところから始まっている。その時点で「女性らしい」要素がない状態がそれを後押しした。その後たまに所謂女性っぽい話題が出てきても,最初に男性だと思ってしまっていることもあって,そういう方面にも興味がある人なのだとしか思わなかった。


そもそも何故必要もないのに無意識に性別を判断しているのか。無意識なのでなんとも言えないが,世の中には男性と女性という2つの性があってヒトはそのどちらかに分けられる,と思っているから,ある程度為人がわかるぐらいの間柄になってくると,性別がわからないのが落ち着かないのだろう。あくまでも自分が落ち着くためだけの便宜上のものでしかない。

ふたつめ:なぜショックを受けるのか。


”中の人”が男性でも女性でも,その人自身は変わらない。気になっていること,考えていること,感じたこと,発信したいこと,伝えたいこと。好きなもの。行動。言動。何も変わらないし,わたしも態度を変える必要はないはずなのに,どうして性別が逆だと思った瞬間に受け止め方が変わろうとしてしまうんだろう。どうして「男性で○○は珍しいと思ってたけど女性なら納得」みたいな思考回路になっちゃうんだろう。


それだけ自分が「男とは/女とはかかる生き物である」とあらゆることに対して思い込んでいるという証左でしかなく,これはかなりキツかった。

まとめ:そもそもネット上において性別とは何か。


ネット上では性別が明らかでない人は多い。どこかで明言されていてもそこに触れる機会がない場合もある。明言していない場合でも,意図していない場合と,意図的に明らかにしていない場合があるだろう。


性別を明らかにすると自動的にジェンダーの色眼鏡をかけて見られてしまうのを避けがたいのが実情。肉体的な性別は概ね二分されるけれども,内面はそんなにきっぱりわかれるはずがない。そもそも,男らしさ女らしさ自体,後付の思い込みでしかない。社会的なもの,といった方がいいか。男らしい論理的な考え方,女らしい感情的な反応。などなど。


だから,書き手の性別に囚われないで自分の意見を読んでもらいたいという人もあるだろう。或いは,外見がいわゆる「男/女らしい」人などは,外見によって判断されがちな実社会では周りの印象に沿うように振る舞っていることもあるかもしれず,外見で判断されないところで素の自分を出したいという人もいるかもしれない。わざと逆の性を装って周りの人を騙して内心でほくそ笑んでいるようなあまりタチが宜しくない振る舞いでなければ,ネット上の性別(の印象)が実社会での性別と異なっていても何ら差し支えない。


ではネット上で振る舞っているその人の性別は男なのか女なのか。それが実社会と同じである必要があるのか。そもそも,性別が存在する必要があるのか。


考え出すときりがなく深い。