体操世界選手権男子個人総合


テレビ放送を途中から見ていた。今日の21時からと知らなかったので放送開始には間に合わず,第3ローテ(?)途中から視聴。


採点競技って,点の付き方が分かりづらいし,人の主観からは逃れられないので,順位は気にしすぎないことにしている。


結果を出した選手の素晴らしさが減じるものでは全くないが,結果は後から付いてくるものでメインはあくまで個々の演技の内容,という感覚が強い。


採点競技は「負け」がない。選手同士は直接戦って相手を負かすのではなく,それぞれが自分の持てる限りの力を発揮しあう。順位が悪ければそれは他の選手がより素晴らしかったからで,次に戦うときには自分が自分の技を磨くことで勝負を挑む。


同じグループで回る一群は,ごっちゃになって控えている。各選手それぞれ演技が終わって降りてくると,握手をしあい,讃え合う。そして一緒に次の種目へ移動する。一緒にいるのは足を引っ張ったり打ち破ったりすべき相手ではない。ライバルであると同時に,その競技会を一緒につくっている仲間でもある。


実際の現場では「勝つ」為の工夫や駆け引きが行われているだろうし,「負け」と感じることもあるのだろう。応援している選手があれば,その順位が気にもなるだろうしライバル選手の減点を願うこともあるかもしれない。


けれど,のんびりとテレビ桟敷で観戦しているとき,全ての競技者に対してポジティブにプラス方向に楽しむことができる。並外れた肉体と技術を,息もできない張り詰めた時間と空間を,ただ堪能し,着地のあと一拍おいて溜息をつく。素敵だ。


それにつけても,内村選手の鉄棒の素晴らしかったこと。わたしには専門的なことはわからないので,難度とか得点の出方とか評価されるプレーがどうとかは全然わからないけれど,離れ技がふんだんに盛り込まれた大変華やかな構成だった。手が鉄棒から離れている間の緊張感は見ている方の胃が縮む。それが全てぴたっと決まり,静と動と,緩と急とが,よどみなく揺るぎなく,力強く美しく,流れていく。


着地によって演技が終わった瞬間,彼自身も周りにいたコーチや他の選手も,観客も,皆が彼の優勝を確信した。得点が出るのを待つまでもない。疑問を挟む余地などない,圧倒的な説得力だった。


彼が優勝するのも史上初の個人総合三連覇を達成したことも,そんなことはどうでもいい。あんなん優勝に決まってる。同じヒトが為しているとは信じがたいような奇跡が目の前で起きていることが何より素晴らしい。それをプレッシャーのかかる場面で実現している彼が讃えられないはずがない。その様をテレビ越しにでも見られて,ほんとうに幸せなひとときだった。