令和5年新春歌舞伎公演 通し狂言「遠山桜天保日記」

国立劇場
すっかり観劇日記(ガワだけ)みたいなブログになってる。
お正月は国立劇場菊五郎劇団がないと始まらない。が、10月末で今の国立劇場が建て替えのため閉場と決まっているため、国立劇場のお正月芝居も、いったんおしまい、ということらしい。さびしすぎる。代替えの劇場はないのかああああああ。がんばって国立劇場
10月以来の国立劇場国立劇場にかぎらず、劇場などのライブイベントは、いつも通りのかんじに戻ってきた感じがする。座席は全席つめて販売。座席での飲食は引き続き禁止だけれど、この公演、日を限って大向こうが入るとのことで、ちょうどその日だった。久しぶりに聞く大向こう。「音羽屋」多すぎ問題。笑。
「遠山桜天保日記」は平成20年(2008年)以来の再演とのこと。新規の復活狂言がこのところないのが気にはなる、が、一度だけ復活させてそれきりというのも、意義を考えるとちがう、のかなあ。わたしは初見。
時代劇(に限らずテレビ番組をほとんど)見ずに育っているので、「遠山の金さん」の名前は知っていてもお約束は知らないのだけれど、逆に、歌舞伎狂言あるあるなせりふがちらほら仕込まれている様子は感じ取れた。例によってむちゃくちゃ感はあるけれど、勧善懲悪どころか、悪い人も金四郎の情け深いお裁きで丸く収まるオールハッピーエンド。大詰めはじゃっかんとってつけたようなメインキャストによる踊り、そして、3年ぶりに手拭い撒きも復活。この間はプログラムに当たり籤が入っている方式だった(当たりはしなかった)。3階一番後ろに飛んでくるはずもないのだけれど、彦亀兄弟の遠投に負けじと腕を文字通り振るう亀三郎、見ているだけで楽しい。いつもの顔ぶれにお子さまがた4人も加わり、安心安定、明るくハッピーな菊五郎劇団のお正月芝居でした。ほんとに。
改めて思うに、お子たちに、国立劇場のお正月の舞台を、ちゃんと踏ませたかったんだろうなあ。丑之助は出たこともあった(他の子もあった)みたいだけど。6年後に無事に建て替えなったとして、これが復活するかどうかもわからないし、どちらにしたって、そのころ彼らはもう「子役」ではない。今の左近ぐらいか、いや、もっと大きいか。

チャリ場のネタがわからなかったらどうしよう、というのがここ数年の危惧だけれど、幸い、わかった。楽善さんにそれを言わすか。そして、うさぎ踊り、かわいかったし、そこからすっと本筋に戻っていくのが気が利いている。
立廻りは、セットのスケール感は(屋根の上とかに比べると)少し控えめだったかな、と思うのだけれども、今までにないかんじの立廻りで、興味深かった。言語化はできない。古めかしい様式美よりもっときびきびした感じ?
立廻りにしても、大詰めの踊りにしても、それぞれに見せ場を作っている(当て書き風の)ところが、劇団にとっての「顔見世」的な感じ。
右近が、清元の代稽古でじっさいに謡うのは、すごい儲けもの。
彦三郎七変化。亀蔵さんすっきり。
ほんぺん(?)立役の菊之助は、大詰で振袖。藤色の。似合ってる。かわいい。
ほんぺん(?)おばあちゃんな時蔵丈も、大詰めでは艶やか。去年の秋に見た吉原芸者(だっけ)でも思ったけれど、粋な姐さんがほんとに似合う。近頃はお芝居だと梅ちゃんと共演するときは梅ちゃんに若い役譲っちゃうことが多くなってて、それはそれでいいんだけど、うん。
亀蔵さんの踊り大好き。右近とペア。ぎゃああ、見栄が良い。
梅ちゃん萬ちゃん、姉弟にしか見えない兄弟ペア。すっきり上品でさっぱり気持ち良い、素敵姉弟
菊之助と彦三郎さんがペア組んでたのはちょい新鮮だった。いちゃいちゃ感がっつりで、きゃあ、ってなる。いいぞ、もっとやれ。(真面目な話。彦三郎さん、今回出番多めで嬉しかった。もっといろいろたくさんみたいし出番多い役も見たい)
そして、異常に存在感のある獅子舞、中から出てきたのは紀尾井町親子。プログラムで「後輩が一気に四人も増えるので」と嬉しそうだった左近ちゃん。自分が比較的年が近い萬太郎にいさんに憧れたみたいになれるといいな、って。本人はほんぺん(?)もその萬太郎さんと同僚的な位置づけで、もうすっかりおとなになって、若者組としてがんばってた。同世代が、音羽屋さんち界隈ではあんまりいないんだけども(松緑さんと菊之助は年近いんだけどね)、だからこそ、勝手に大きな期待をかけちゃう。
その左近ちゃんの「後輩」小学生以下のお子さま4人おそろいで、紅白の牡丹(?)を持っての踊り。まほろさん久しぶりに拝見。まほろさんも丑之助も亀三郎も、ぐんぐん背が高くなってる。よそんちの子は大きくなるのが早いん。3人に比べると大晴さんはまだちっちゃいなあ、ってなった。それでもおにいさんたちにといっしょにいっしょけんめしっかり踊っててかわいかった。キッズかわいすぎる。そして、自分の息子を無の表情で見つめる親(視線の先が明らかに自分の息子)と、それよりは少しゆったり構えて、微笑ましさを表に出して見守っているおじさんおにいさんたちの様子もかわいすぎた。目が幾つあっても足りない大詰だった。