やっぱりちゃんと書けなかった。

ところで2。実在の人物や組織の設定を使った創作はあくまで創作のための解釈や創造であり,歴史研究的解釈とは全然別物です。


図書館で新書を3冊ほどドラマ関連本を借りて読んでみたのだけれど,本によって書いていることがてんでばらばらなことが屡々ある。たかだか1世紀ちょっと前のことでも,なかなかに事実は闇の中らしい。現実と引き比べて考えてみればよくわかる。起きたことをリアルタイムで事細かに逐一書き付けて(それを保管している)いる人なんてそうそういない。一次史料が残っていない,残っていても史料によって記述が違う,その件について書かれている史料がひとつしかなくまた信憑性に疑問がある,等々。そこでスタンダードが確立されぬままいくつかの解釈が主流になっているものについて,本によって書いていることが違ってくるわけだ。


こういう場合,読む側としては「最初に読んだ本に書いてあったこと」を信用してしまう傾向にあり,次に,決めつけて書いてあるものより「はっきりとはわからない」と書いてあるものの方を信用してしまう。どっちを信じてもそれは本人の好きずきで,はまる人間は必ず1冊だけでは終わらないだろうから,1冊しか読まなくてそこに書いてあることを鵜呑みにする人はあまりいないだろうけど,そのように本によって記述が違うと,その記述が何を根拠にして書かれているかは気になる。人のことは言えないが,新書だとかで本にするなら典拠を明記してほしいものだ。その典拠自体の信用性だとかが判断材料になると思うので。典拠無しでまるで事実は1つであるかのように書いてあるのが一番厄介。でもって,本来から言えば(本の性質にもよるけど),2説あるときにはどっちも書いていて欲しいよね。典拠がひいてあっても単に「○○には××と書いてある」とだけ書かれていると,それ信じちゃうじゃん。(信じたところで害はないけど)。(20:55)