きのうタイトルを「畳鰯の価格破壊」としたが,

結局畳鰯にも価格破壊にも触れなかったな。くん・けーから教えてもらったのだけれど,日本人が苦手とする無気音の「t」や「k」は,「タタミ」の2音目や「カカク」の2音目が,そうなんだそうだ。それを意識して音節の最初に持ってくるのは,もちろん簡単ではないのだけれど,自分の発声機構(?)がその発声をすることができる,とわかるとどことなしに心休まる。


日本人が苦手といえば,諸外国語に触れるとしばしば「u」の発音について,「日本語の『う』よりも口を丸くして発音する」と説明されている(「o」についても似たようなことが言える)。それはつまり,逆に日本語の「う」が曖昧な母音であると考えられる(日本語学習者には却って難しい発音だろう)。もともと日本語はそうだったのか,それとも昔は例えばもう一つの「う」があるなどしたのか。日本語の「う」と同じ「う」がある言語はどこかにあるのかしら。そういえば中国語の発音ではそれほど言われないかしら? 中国語は子音が難しいのが印象深くて,逆に母音についてはさっぱり記憶にない(3回生のときにいちおう5回ぐらいはLLの授業に出たのですが)。


音の考え方・とらえ方ってのはその言葉ごとに違うらしく,結果が同じでもそこに至る過程というか理論というか分類の視点が異なっているのがおもしろい。専門的には「結果も違うよ」って言われるのかもしれないが大差なさそうな例としては,昨日挙げた「清音−濁音」と「無声音−有声音」であったり,韓国語の激音・濃音とシナ・チベット系有気音・無気音であったり,音の「強弱」ととらえるか「高低」ととらえるか(アクセント・イントネーション・声調・抑揚:音節と文とがごっちゃになっていますね)であったり。


セム・ハム系言語は全く身近でないので,どんなもんなのか気になります。


土曜の夜にくやまと飲酒。ごく普通に居酒屋で飲んでいたのだが,メニューにあった「石焼きキムチご飯」を頼んだら,「雑文に書いてたから?」と訊かれてちょっとびっくり。ご愛読ありがとうございます。えへへ(嬉)。しかし二人して“「ピビンバ」ってなんか恥ずかしくて言えなくない?”という意見の一致を見たね。まだそっちに慣れていないからか,日本語にパ行で始まる名詞が少ないからか。いずれも外来語である以上仕方ないっちゃぁ仕方ないけど。


外来語をその元の発音に近づけて表記しよう作戦については評価が難しい。例えば,綴りにひきづられてカタカナ表記(カタカナ読み)しているが為に会話に於ける苦手意識が強まるのではと思う英語・英単語は,元の発音に近づけることで役立ち度があがるかもしれない。変につづりから理屈で日本語に変換して発音しようとするより,耳で聞いて近いと感じた音を出した方が,きっと通じやすいだろうと思うし(たとえば「くぅわいてぃあお」ではなく「くぅぃってぃお」とか。実践したわけではないが)。一方で,所詮外来語は日本語の単語なので,日本語の音の範囲内に止めて,無理に近づける必要もないようにも思う。どれだけがんばったって日本語の表記方法では表せない音や情報があるし,日本語の音韻体系ではカバーできない音もあるのだから,無理していい気になったところでたかがしれている。


漢語だって,日本に入ってきた当初はそれっぽく読んでいたのかもしれないが(読めていたとして),いつの間にか声調や日本語で区別しない子音については情報が落ちている。おかげで日本語はやたら同音異義語の多い言語になってしまって,頭の中で漢字変換しないと会話も満足にできないというある種の切なさもあるのだが。


外国語を学習するという目的に於いては実際の音に近い表記・読みで学習するのが好ましく,日本語の単語としてとらえるのであれば,日本語の枠内での表記・読みに変えてしまう方が扱いやすい,というのが私的考察による結論。(3:29)