近頃「都会と田舎の差異」についてちょっとだけ考える機会があり


それに関連してということもないのだけれど,ふと。ちょっとどころでなく散漫になってしまいましたが。


あくまで個人の好みの問題であって是非論ではないのだけれど,わたしは小説・エッセイのハードカバーの単行本はあまり買わないようにしているし,あまり好きではない。買わない理由は,重量容積共に大きいからということに尽きる。強いてもう一つ挙げれば,版型が均一でないこと。さらに言えば,でこぼこしていて隙間に埃が溜まること。


小説やエッセイの単行本のセンスのいい装幀そのものは,嫌いではない。それどころか,以前は積極的に好きだった。今となっては書店でそれらが置いてあるスペースに行くことすらないので,なんとも言えないけれど。


考え方として,装幀を含めて1作品とするのか,コンテンツ=テキストとするのか,という違いがそこにはある。わたしは以前は前者だったけれど今は後者に近いということだ。


その意識の変化は,自分のサイトに如実に表れている。今はもう字さえ書ければよくって,デザインをどうこうしようという気が殆ど無い。読みやすいデザインであることは必要とは思うけれど,それ以上の何か,つまり,テキスト以外の部分での演出を考えなくなった。


その理由には,世の中のCSS化(というかブログっぽいページ構成というか既になんと呼べばいいのかも知らないわけですが)に知識・スキルが追いつかなくなったこと等も挙げられるが,もとよりHTMLならアタマに入っていたわけでもなく,都度,リファランスと首っ引きになっていたものだ(と書くと偉そうだが,ちっとも大したことはしていない)。学生時代と比べて極端に時間がないということもない(特に最近はどう見ても暇人としか思えない更新頻度と記述量だ)から,以前のわたしであればとっくに手を打っていると思うけれども,すっかりほったらかし。テーマに飽きたらアリモノテーマを探すという,全く。いや。いいけど。


少し話が逸れたので元に戻す。情報化が進み物流もゆきとどいている現代でも,田舎と都会では都会の方がモノを手に入れるのは容易ではある。しかし,都会と同水準にはならないまでも,amazonbk1の登場・普及によって,以前と比べれば格段に田舎住まいでも本の入手は容易になっているのではないだろうか。


田舎だけに限らない。首都圏に住む若者も,積極的に利用している。他の商品に比べて本はネット通販のメリットが大きく,普及が著しいと感じる今日この頃。


そんなわけで,文芸書が装幀で勝負する時代は果たして続くのだろうかと。といってもわたしは書店で自分で見てから買う方が好きで(何より宅配便が嫌いなので)上記サービスは1度しか利用したことがない。そういう人が一定数存在する以上装幀での争い(?)がなくなることはないだろうが,amazon等で買う場合には紙質やインクの繊細な色合いといったものは広告宣伝として用を為さないから,本全体の装幀や本文デザインよりも,表1(という言い方,書籍でもするのかしら)のデザインと,あとはコピーやレビューが,購入を検討する際に判断要素として大きなウェイトを占めるだろうとは,思うもので。


この話の根底には,小説・エッセイ等の本の装幀が凝っているのは,要は「客の目を引いて手にとって貰う為」に存在しているとの考えがある。以前はそう考えてはいなかった(丸ごと一作品)というのは先に書いたとおりだが,装幀は作家本人の領域ではないわけだし,売り手の理屈としてはどちらかといえば広告宣伝要素が強いのではないかな,と推測する。


そもそも,この先いつまでも紙に印刷されて製本された状態で小説やエッセイを読むとは限らない。パソコンのディスプレイ上で長文を読むのにも人はそろそろ慣れてきているように思う。そうなってくると,読み手の意識も,読み物として「紙に印刷されて本になっている全体」を求めるのではなく,「ナマのテキストデータ」を求めるという風に,変わっていくのではないだろうか。


そうして,いつしか,隅々まで行き届いた配慮に基づいて用紙が決定され版面が決定され書体級数歯送りが決定され文字色が決定されノンブルの位置からなにから……といったプロの仕事の価値と意味が目減りし,ただのテキストデータに収斂されていくだろうかどうだろうか。


読みやすさ(本の誌面と同じ形式である必要はないが)を考慮されなくなるということは考えられないので,そこへの配慮がなされはするだろうが,読みやすさという観点からのみで考えれば,一つ読みやすいデザインフォーマットがあれば,あとはそれぞれのテキストを流し込んでいけばいいだけのこと。作品個別にデザインし,それを込みで一つの作品とすることが,その世界でもまだ残るかもしれないが……なんとも言えないな。好きな人は好きだろうけど,そんなこと気にしない人はいるわけで,気にしない人には気にしない人の選択肢ができるだろうとは思う。


一つのフォーマットといえば,今の文庫本がそうだけど,文庫本になるのは数年あとのことだ。数年あとであることがわたしは好きではなくて,単行本が好きな人もいれば本文だけでいいよという人もいるんだから何年も差をつけなくても,と,いつも思っている(これはもちろん消費者側の感覚ですね)。時代が変わってテキストデータをやりとりするようになったとき,この読み手の感覚が反映されるかどうか……将来のことは読めないな。うまく言えないや。