映画の話が出たついでに


夜中に思いつくことなんてろくなもんじゃないので書こうかどうか迷っていたのだけど,alchemiさんの日記を読んでちょっと乗ってみようと思ってみたり。


話が逸れるけれど,彼女とわたしが似ているというのは今やネタでしかなくなっていて,どこが似ているのか説明を求められた時とっさには思いつかなかったのだけれど,この前一つ共通点を見いだした。それは,かなり古い話題になるが,以前彼女が短歌か何かの批評会とやらに出席した際,参加資格は有していたのに「出席しても良かったのだろうか」と疑問を持ったという点で,それを読んで,わたしも同じような状況に身を置いたら彼女と同じように感じるだろう,と思ったのだ(なので,読みながら感情移入してしまいちょっと辛い感じだった)。しかしそれが万人が抱く感覚ではなかろうことは大方想像がついて,案の定かなまるに話したら全く理解されなかった。ほんとうに,もう,これっぽっちも。あの人は絶対そうは思わないだろうなと思って話したのだから予想通りの結果なんだけど,それはもう見事なまでだった。


その件と今回の主題とは何の関連もないのだが。以下しばらくは休み前の夜中に書いた文章ベース。


わたしは随分長いこと,男の子が女の子を好きになる気持ちがわからなかった。いつごろまでなのかはっきりしないけれど,少なくとも二十歳の段階ではまだそう思っていた。それには少女マンガや少女小説の影響が大きかったんじゃないかと思っている。少し大きくなってから「男子からアプローチするものと決めてかからず女の子からでもいいじゃない」といった内容の文章を目にしたとき,それまで思い込んでいたスタンダードがぐらついてえらくびっくりした。


恋愛をテーマとした少女マンガの中には男子が主人公の作品も存在はするだろうが,わたしが読んできた(それも一桁年齢からローティーンにかけて,つまりは「りぼん」と講談社ティーンズハートの)作品は,たいていが女の子が男の子を好きになり,女の子が男の子に恋心を告白し,女の子が男の子に交際を申し込むというパターンのものだった。男の子は,それを受けるか断るかの選択権を持つ受け身の存在だった。だからというのも違うかもしれないけれど,男の子の方から積極的に女の子を好きになるなんて思っていなかった。


恋愛感情が女子特有のものだと認識していた気がする。恋愛にうつつを抜かすのは女の子だけだと思っていた。男の子は別の趣味なり同性の友人との生活なり遊びなりにしか興味関心を示さない生き物だと思っていた。つまりはそういう異性認識というか恋愛感情認識をしていたのだろう。


だけど,それ以前の問題として,わたしは,そういったマンガや小説を好んで読んでいた頃,そもそも,好きという気持ちがわかっていなかった。それなりに大きくなれば異性に関心も多少は持っていただろうしその関心が特定少数のみに向けられていたこともあっただろうに,その種の概念に小難しい規定をしたがるのはどうやら昔からの性質らしく,好きってのはそんなもんじゃないんだとかなんだとか,勝手に思っていたものだ。じゃぁどんなもんなんだよってのは当時はいっぱしに持ち合わせていたわけだけど,その認識が正しかったかどうか(そもそも「正しい『好き』」があるのか)はわからない。


「好き」という気持ちがなんなのか,実は今でもわかっていないのだけれど。


男の子が女の子を好きになる気持ちにしても,自分が誰かを好きになる気持ちにしても,今は,わかったのではなく,それについて考えようとしなくなっただけだ。いつのころからか,考えなくなった。考える必要がなくなったんだろう。


考える必要がなくなったことはとても幸せなことだ。それは,「好き」って何? と悩まなくても,好きという気持ちを自分や誰かの中に探し求めなくても,日々の生活の中に気づかないぐらい自然に存在しているから,考える必要がなくなったんだろうと思うからだ。(この一文,煎じ詰めると惚気ですね,すんません)。


でも,そもそも,そんなこと,頭で考えて答えが出るような,頭で考えて答えを出すような命題じゃないんだろう。感情を表す言葉に,言語化して共有できる規定があると思っていたわたしが物知らずだったのだ(だいいち言葉も記号でしかなく指し示している物が他の人と同じとは限らない)。


ということに気づいたぐらいにはわたしも成長してるんでしょうかどうなんでしょうか。それとも単に恋愛なんてもうどうでもいいと思っているだけかもしれないし(それも成長の一つか)


alchemiさんの日記とは随分方向性の違う内容でしたが。わたしは「説明的文章」以外の読解力はゼロに等しく,まして短詩型に至っては読める読めないで表現する感覚が既に異世界のものなので(つまり何をもって「読める」とか「好き」とか感じるのかが感覚的にわからないということです。これはわたしの感性の問題であってけしてケチをつける等の意図はありません),本筋には何のコメントもできないんだけど,「夏」氏のコメントがちょっと微笑ましかったので,ついつい。年上の男性(それもお会いしたことのない)をつかまえて微笑ましいは失礼なんだけど。


つまりわたしは憧れも何も,恋愛って何よ,と恋愛に縁がなかった為にやや僻みっぽく斜に構えていたまま,いつしかそんなもの全部どうでもいいと思うようになっていたという話で,ええっとええっと。


くぅぅぅぅ。だけど「月とキャベツ」に出てくるシーンを見て「いいなぁ」とか「憧れ」とか書いたんだから,恋愛についての自分なりの定義もあるだろうし,恋愛に対する憧れもあるんだよね,きっと。そして,男の子が女の子に対して好きだーって思っているのが分かるという絵にすごく弱い。と,書いていて気づいたのだけど,それはわたしが好かれたがりだからだろうかね。極度の自分スキーだし何事にも受け身だし。そんな風に好かれたい,と。道理で,所謂思春期にさして恋愛に興味もなければまともに好きな人の1人もいなかったわけだ。自分から誰かを好きになること自体にそれほど憧れもしないし誰かを好きでいる自分を求めてもいない,その上で男の子は女の子を好きになるものではないと認識していたら,どうにも成立しようがない。


と,だからって,今,興味関心を抱く異性に対してこの人から好かれたいというねじくれた関心の持ち方をしているわけではないんだけど,自覚的には。あー,でも,昔は,自分に興味を持ってもらいたいと思っていたかもなぁ。今は基本的に不器用なので自覚のないところであからさまに言動なり行動なりに出るけど,それは別に「好かれたい」ばかりではない,と,思う,けど,自覚的でないのだからわからんな。


夜がふければふけるほど際限なくわけわからんことを書き続けてしまうのでこの辺でやめておきます。一度書き終えた後読み直しつつ修正・補足がてら書いていたはずなのに何故か40分以上経ってしまったことだし。これで読み返すとまだ気に入らない(足りない)気持ちになるだろうからもう読みません。あとで読んだときには訂正したくて仕方ないだろうな。まぁいいや。