金曜夜の楽しみで


「少年は荒野をめざす」(吉野朔実)を一気に読んだら朝の5時になっていた。それから眠って10時半ごろいったん目が覚めてすぐに2度寝して,玄関の呼び鈴で起こされたのが2時,しかも間違い訪問だし。


再放送見逃した,と思って(録画してあるからいつでも見られると思うと逆に再放送を見なくなってしまったが録画分を見返すこともしない)何気なくNHKをつけたら土スタに岡田准一氏が出ていて,NHKとあまり繋がりがなさそうに思っていたのでちょっとびっくり。来年の正月ドラマに出演とのこと。共演の渡部篤郎の名を見て,おお,と。地上波の放送は3日夜。


以前,「好きなタイプの異性を芸能人にたとえると」アンケートの際ぽろっと,岡田氏かなぁ,などと書いたものが,テレビで動いているのを見ると(動いて喋っているのを長い時間見るのは初めてだ)違うような気もする。確かに造形は(各パーツ含めて)要件を満たしているし話しぶりなどの好感度も高い(頭も悪くなさそう)のだが,それは誰が見てもそうなんじゃないかと。つまりわたし個人(および個々人)の好みの“タイプ”の領域を超えたところにある人なのではないかと。


そんな人を例として引き合いに出すのは,れいこさんが書かれていた「それにしてもみんな、自分の周りに岡田君みたいな人なんているのー?」(http://bdfd.net/archives/000287.html)って話だよな。あまり意味がない。しかしアイドルなんてのは好みの「タイプ」を突き詰めたものを提供している部分もある気がするので,そういう結果になるのは致し方ないことかもしれない,なんて。いまだにかの質問への回答は得られないまま。


ところで彼は24歳になったばかりだそうだけれど,24歳にしちゃ老けてんな,と思った。悪い意味ではないけど。これぐらいの年齢になると10年や15年の範囲内であれば人によってまちまちというか,きっかり年齢と外見を区切れるものではないのは,子どもじゃないからそうなんだけど。でも,そんなことよりもショックだったのは,24歳って傍目にはじゅうぶんに大人に見えるんだな,とか,じゃあ俺はどうなんだ,とか。うー。


昨日,楽譜の話を少し書いていたけれど,わたしが初めてピアノに触ったのはきっと3歳ぐらいで(もう少し後かも),母親が若い頃に買って家にあった楽譜は,どれも色あせていたり表紙のデザインがその時売られているものとは異なっていたりした。わたしが生まれたときの母親の年齢は24だったので,ちょうど今のわたしに3歳ぐらいの娘がいてピアノを触って,わたしが「エリーゼのために」を「これしか弾けない」と言って弾いている,そんな感じなのかと思うと,妙な気分だ。表紙の色あせた「幻想即興曲」とか(これは弾けないだろうけど),そんな光景が今展開されていた可能性もゼロではないけれど実際はそうではない。それは,四半世紀違う時代(よのなか)による部分もあるだろう。いずれにしてもわたしはわたしの母親ではないしわたしの娘はわたしではないから,どこかで見た絵の繰り返しなんてものは,ゆめまぼろしでしかないのだ。


せっかくの土曜日なのに食糧を備蓄するのを忘れていたのが寂しい。牛乳とヨーグルトが欲しい。これは,買い出しに出るしかないのかな。図書館にも行きたいし,ついでに外食にしようかな。


その前に録りだめているやつらを消化せねば。