お店の人と話をしたり某巨大掲示板を読んだりしていると


自分(達)の認識が依然「おままごと」の域を出ていないことに気づきそうになって,そこは見ないふりをして蓋をする。


単に「結婚式」したいだけなんかなー,俺。


そのわりに口を開けば(直接話をした人はご存じのとおり)二言目にはあれ(=結婚式や結婚披露宴に対してそれほど熱心になれない)なんだけど。


何にしても双方の家族・親戚がどうとか新婚旅行がどうとか新居がどうとかお支度がどうとか,かなりめんどくさそうだがそういうめんどくさいことを一つ一つすりあわせたり決めたりしていくのがこの先の長い人生ってことで,結婚するっつーのはその始まりの一歩として避けて通れないというか,仮にイベントの1つ2つを避けてみたところで長い目で見れば同じだろうしそれならイベントの1つや2つはいい練習台であり試練でもあるのだろう。と考えると,それら「めんどくさい」系調整が発生するような諸事象を全て他人ごととしてとらえ全く当事者認識できないでいる(しようとしないでいる)我(ら)は結婚なんぞするのには10年早いような気がしてくるのであった。


が,ここでそんな根本のところを喪失しても仕方ない。「一気にまとめてやらなくてもいいじゃんね」と考えてこういう順番で事を進めているだけで,その種の問題から目を背けようとしているわけではないのだ,と,ここで言い訳してみるテスト。


そういえば有馬温泉でほりぃから「なんとなく,結婚という形はとらないんじゃないかと思っていた」みたいなことを言われたな。傍目にはそう見えるのかとちと新鮮。しかし,今の状態でそれなりにうまくいっているのだからわたしの保守的な性行を考えるとそれも自然な見方か。それも一つの形としてアリだとは思うけれども,……なんだろう,そういう年齢になったってことかしらん。