「鴨川ホルモー」


4日かけて昼に「鴨川ホルモー」読了。はじめのうちは自分の学生時代を懐かしく思い出しながら「みんなきっとそんな青春だろうね」などと悠長に懐古にふけっていたが,話が進むにつれ次第に内容に引き込まれ,話の先が気になってあれこれ考える余裕もなくなった。思っていたよりも長かったけれど状況が二転三転しそのうち新たな事実も判明するなどの連載漫画的転換が続き,うすうす大筋の展開は読めたとはいえ細部が面白くて最後まで楽しかった。オビの「青春小説である」というのはそうかもしれない。京都で学生時代を過ごしたOB・OGには小ネタで「くすっ」と笑えてなお一層お得感が増すことと思われる。


率直な感想は文体にたいへん親和性をいただいたことと「よくもこんなトンデモなことをそれも微に入り細に入り考えたな」ということ。前者については,小説を滅多に読まないのでごく少数の体験に基づくごく個人的な感想に過ぎないが,娯楽で本を読んでいてそれが自分にとって楽しい(好き,読める)ものかどうかには文体の占める割合がかなり高いと思う。言い回し,言葉遣い,文末表現,構文,それらが自然と頭の中に染み込んで読み終えた後しばらくは脳内がその調子(脳内では音なので)で思考する。それを心地よいと感じる文が好きだし心地よい文の作家は好きな作家として心に留まる。極端な話をすれば内容以前に。実際にその文体を真似て書くことができれば一種の能力になるんだろうが残念なことに脳内だけだ。脳内ではすぐにうつるのに,きちんと文の形にまとまったものでさえその通りに書くのは不可能に近い。それは他に影響されていない状態で(自分のことばで)思索した文でも同じことがいえるのだが。といったことに加えて,一人称である地の文の時代がかった文体にしろ携帯電話のメール文における「来られたし」にしろ,現実にはそうはないだろうとは思いながら一方であそこの学生ならばそういう人たちがいても不思議でないと思われて愉快だった。後者については,<ホルモー>に関する規則・記述の細かさ生真面目さと想像しうる光景の滑稽さとのギャップがばかばかしさを際だたせていて大変結構でした。……一段落が長すぎて自分で書いていて目が滑る。


ところで,10年来の疑問にかかわるあの辺の記述がはたしてどのくらいフィクションであるのかは気になるところ。しかしやはり将来の長きにわたって知ることはないのだろうなあ。知らないほうが良いこともあるのですよね。


そんな感じで,今月末でパソコンを買って丸十年。今のPGG4は3代目。悔しいけれどJIS配列にももう慣れた。カーソルキーの配列が気に入らなかった&当時はファンクションキーを使っていたという理由で,セット価格から1万円(!)上乗せして拡張キーボードを買った時代を思うと,世間で評価の高いキーボードを8000円で手に入れれられるなんて,なんて良い時代になったんだ。ノートパソコンは軽量省スペースで便利だがキーボードを選べない(外付けにすると利点が失われる)点で窮屈な面もある。世間ではキーボードの評価もよいそうなIBM社のThinkPadのキーボードは慣れの問題もあるかもしれないがどうも相性が良くない。iBook・PBG4のパンタグラフキーボードは右側にcommandキーとoptionキーがないというノートパソコン故のどうしようもない(しかし重大な)欠点はあるもののキータッチに関しては著しいストレスは感じずに使えているのは幸いであろう。fnキー+カーソルキーでのpageup/downを頻繁に使っているので右側のキー達について悪く言うこともできない。