幸せ(酔っぱらい)


素敵な男性の素敵な姿をたくさん見て気持ちが高揚したので,そして,少し体を動かして汗もかいたので,晩ご飯にビールを飲んだ。ほろ酔いで幸せ気分倍増。新曲(シングル表面)ベタだけどいいなぁ。しみじみ。


いただいたコメントに少しだけ関連して。ちょっと酔っぱらいなのであまりきちんと書けそうにないのですが。


どうもうまく言えないのだけれど,毎年自動的にその年の4年生がチームを卒業することに対して,楽しくない・面白くない・システムが気に入らないといったネガティブな感情はなくて,でもどうしてもつきまとう寂しさ。


けれど,少なくとも今年の4年生に対して,自分にはそういう感傷を抱く資格がないと思っている。4年間ずっと見てきたわけではもちろんなく,今のチームになった最初からでさえなく,ただ,秋のリーグで数回ちょこちょこっと試合を見ただけ。その程度なのに雰囲気に浸って偉そうに寂しがるのは,違うんじゃないかと。


過去にこの日記のどこかで,大学はすぐに選手が変わるからどこそこ大学が好きということの意味がわからない云々と書いたことがあるけれど,選手が原則4年しか在籍しなくてもどんどん入れ替わっても,代々引き継がれているチームカラーはきっとあるんだろうな,というのが実際に見てみてぼんやりと抱いた印象だった。考えてみれば,公立の小中学校と違って,学生にも大学側にも大学を(学生を)選ぶ権利と機会があるのだから,選手が集まってチームが作られていくなかにはそういったファクタも絡んでくるのだろうし。それに,社会人チームだって選手の入れ替わりもあるば選手やスタッフの入れ替わりに応じてチームカラーの変貌もあるので,相対的に見ればそれほど大きな差はないのかもしれない。同じチームで長く続ける選手が存在しないだけで(それは大きなことではあるんだがそれはそれとして)。その上で,大学・社会人関係なく,ある特定のチームにひどく思い入れができることもあれば,それほど強く思い入れることもなく見ていることもあるだろう。


あくまで個人的な好みとして,彼ら(今のメンバーに限定するのではなく広く大学生たち)の4年間というものが,外野の人間としてずっと見ていたい対象になりうることは強く感じた。ひとつには個々の選手の成長の楽しみ。秋のリーグをちょっとだけ見てみて,学年が若い子の方がより先々に渡って見ていられると思えると嬉しかった。来年も再来年もいるんだ,って。今,1年生や2年生で試合に出ている子達は,みなどこかしら粗削りな面があって,だけどこいつらはきっとこれからどんどん伸びて行くんだろうと思わせる光るものがあって,それがとても好もしい。4年間でどれだけ成長するのか,今凄いんだったらもっとずっと凄くなるんだろうかと,期待だけは無限大に広がる。


そしてもうひとつが,期限が限られているチーム・チームメイトという設定に対して抱く,刹那的な何かっぽいものへの幻想なり憧憬。考えてみるとこれってすごく青春の1ページで,卒業して何年も経った自分の大学生活を振り返ってみても,あの4年間って特別だと思うんだ。シゲビューに映る彼の笑顔を見るだけで涙腺が緩くなっても仕方ない(緩めませんでしたけども)。ここまでの道のりは全く知らないくせに,彼(ら)にとってこのチームでこのメンバーでこれだけ濃い生活をおくるのはこれで最後なんだと想像するだけで自然にしみじみしてしまう。それは試合に出ていない子も,ベンチにも入っていない子も。みんな。


そういう感傷が多分自分は大好きなんだけど,でも最初に述べたように,今の4年生に対して一方的に気持ちよく感傷に浸るのはただ感傷ごっこに彼らを利用しているようで失礼な気がするので,うっかり油断するとすぐそういう情緒的な方面に流れていきそうになる自分がちょっと憂鬱でうんざりもした。


とかなんとかえらそうに書いていますが,ほんとに今日は試合も観てないぐらいの勢いで重村ばかり追いかけておりました。なんかもう別格。そこに存在しているだけで幸せ。


明日,3位決定戦のひとたちも,決勝戦のひとたちも,男子も女子も,それぞれの有終の美を迎えられますように。