30リットル分ぐらいお洋服を捨てる(オチはありません)


先日ひょんなことから,長らく開かずの扉状態だった衣装ケースの蓋をあけてみたら,「あれ,わたしまだこれ持ってたんだ」と自分でも驚くような昔の洋服が出てきた。


明日はゴミの日なので,そのケースの中のものと,あと,ほかにあった開かずの衣裳ケースも点検したら,もう着ることはないだろう洋服でゴミ袋ひとつがいっぱいになった。それでもまだスキーウェアがボストンバッグに入ってそのへんに放置されているし,冬物の巻物やらは雪崩を打っている。


昔,大好きだったスカートが出てきた。学生時代に穿き倒していた。10年ぐらい存在さえも忘れていたのに,捨てるのが惜しくてならない。しかし夏物の紗っぽい白地に淡色糸で刺繍されたそれは,まだらな変色も見られて,とうてい着られるものではなかった。


中学生や高校生のころ親に買ってもらった洋服も,なかなか捨てられなかった。サイズは入らないわけではないし,中には(学生時代に自腹で買っているものより遙かに)質の良いものもある。とはいえ,今のワードローブとは系統が違うし,職場に着て行く勇気もない。それで何年かに一度こうやって思い立って洋服を処分する度に断腸の思いで少しずつ減らして,まだ捨てられなくて,今回も断腸の思いを敢行した。もう,東京の家にはほとんど残っていない。それでもまだ少し残っている。実家にはもっとある。


いちばん処分しかねているのが学生時代に買ったもの。上記のスカートなどは例外で,概ね今の休日のような思いっきりカジュアルに振れた恰好をしていた。毎日私服だったので数も多い。さほど傷んでもいない。ユニクロのセーターやらなので流行やらもそこまで極端でもない。


それで,「ま,休みの日に着るかね」と思ってよほど古びたり縮んだりしていないものは残してあるのだけれど,実際の休みの日は家では寝間着から着替えないし,出かけるときも色々探したり選んだりするのが面倒なのでほんとうに限られた数点だけを着回し続けている。さいきんは,休みの日用の洋服を分けることさえも横着がって,よれよれのリーバイスの上にその辺に転がっている通勤用のトップスを合わせるという珍妙な恰好で平然と各種体育館に出没しているらしい。


休みの日の外出こそ,逆の意味で職場には着て行きにくい恰好を楽しむチャンスだろうに,まあ,性分だよね。ちょっとこざっぱりする必要があるときには通勤着を着る。自分でもつまらんなーと思うがほかに着る物もない。そして,ホールのライブになるととたんに困る。


などとぶつぶつ思いながらも,5年以上袖を通していないものなどはさすがにもう着るまいと,どうにかこうにかごみ箱に移送するものほんの数点。


最近はあまり躊躇わずにぽんぽん洋服を買うようになったけれど,限られたお小遣いでワードローブを管理して選び抜いて一着を買っていたときに比べて,随分消耗品感覚になってるなあと思う。価格だけ見れば文字通り桁違いだし,けして愛情がないわけではないのだけれど,昔買った物よりも数年前に買ったものの方を先に処分することが多い(自分の稼ぎで買ったから,という理由もあるだろうけれど)。うっかり血迷って珍しいところにしまい込んだらもう忘れて次のシーズンに似たようなのを買っちゃうぐらい,自分が何を持っているか把握もできていない。そしてもっと昔の地層が逆に大事に保存されている。いざ捨てようにも思い出が詰まってて捨てられない。


箱の奥底から就職活動をしていたときや働き始めたばかりのブラウスやらも出てきたけれど,このころのブラウス(襟がカクカクしてて開襟で厚手)は今時のフェミニンなブラウスの流れとは対極にあるし,襟や袖がいたんでいるので躊躇うことはなかった。といいながら10年躊躇っていたわけで(お堅いスーツスタイルのとき用に襟付きもあったほうがいいよねとか,アイロン壊れてるのに。ちょっとお堅くてもインナーは襟なしカットソーですわ),もっというと,まだ押し入れにリクルートスーツがぶら下がっている。


明日朝ゴミ回収に出して,今週いっぱいぐらいは目覚めが悪いかもしれない。まだ使えるものを捨てるのは本当に心が痛む。そして,これだけ処分してもまだ捨てられずに残してしまった洋服が山のようにある自分の意気地のなさや,そんなこんなで洋服置き場のカオスぶりは一向に改善されていないことが,余計に目覚めを悪くする。数日のうちに忘れるだろうに。