2000年からだと13年経ったよの話しの続き
オフシーズンらしく,訊かれてもいない自分語りが絶好調です。例によってオチはありません。
2000年からVリーグを観はじめて,いつのまにか13シーズン経っていた。現Vぷれみあに関しては,観戦歴が浅いとは言えないだろう。
先日おもしろがってこれまでの観戦試合数を概算してみたが,数の多寡自体には大した意味はない。そして年月の長短にも意味はない。
たくさん観ることで蓄積されるものもあるのだろうけれど,わたし自身に関しては,そういう積み上げがなされてきた実感はない。強いて挙げれば,10年分の選手の名前を知っていることぐらいだ。右から左に忘れていっているから,特徴だとかは出てこない。
たとえば一つの試合を見るときの濃さ。
観戦の際の見所については,直近の2年で勉強する機会を数多く得た。活かされているとは言い難いのが難だが,何も知らずにいたそれまでの10年とは雲泥の差と言えるだろう。
たとえば個々のチームに対する密度。情報量。
大学リーグ戦を期間中毎週末観ていると短期間で集中してひとつのチームを観ることになる。そのわりにあんまり入ってきていないけれど。Vリーグは(遠征しないので)首都圏開催試合+テレビ放映分だけなので間はあいていた。ただしテレビは解説が付くし開催期間も長い。帳票も出る。得られる情報の濃さが試合によって異なる。
たとえば愛の深さ。
スポーツ観戦に限らず。音楽(アーティストさん)でもアイドルさんでも漫画や小説(作者・作品)でも役者さんでも,ファン歴の長さは一度は話題になる。
誰でもいつかどこかに初めはあるので,愛の深さや熱心さは長さによらない。むしろ,最初の方が燃え上がる。わたしだってたとえば99/00シーズンの基本的なスタメンは今でもソラで言えるけど05/06あたりは誰がいたかもわからない(助っ人外国人が誰だったかも,キャプテンが誰だったかも。石飛んでくるかもw)。
いずれにしても,観ていたチームがなくなるとその分はチャラだよなー。
そこから普遍的な何かを掬い上げて現在へもってこられてはいないという前提で。
一つのチームの中で緩やかに選手が入れ替わるのと,ばさっとチームがなくなるのとでは,やはり大きな違いはあるような気がする。そういう意味で,わたしの約180のうちの50ぐらいは,今に繋がらないもののように思う。
たとえば,NTT西日本対日立国分は観戦した記憶がおぼろげにある。だけどだから何という話。
大学同士の対戦の観戦数の方が多いのではないかと感じたのは,おそらくそのあたりにも理由がある。
だけど,積み上げる必要があるのかと。わたしにとって。
一期一会。その時試合を観られて,その試合が面白ければそれでいい。
そこに試合があるから。
しかし13年は長いようで短いようで。
今日の昼にふと思ったのだけれど,11/12シーズン末のJT徳元のコーチ専任とサントリー津曲の現役引退でもって,自分が初めてVリーグを観た99/00シーズンにVリーグ(現Vプレミア)に所属していた選手が,ついにVプレミアからは一人もいなくなったかもしれない。
いたらごめんなさい。
あくまでVぷれみあに限った話だけど。ちゃれにはばりばり現役でコートに立ってる選手がけっこうたくさんいる。それこそ初めて生観戦した試合で観た選手が。
これまで完全には選手が入れ替わっていなかったと考えると,13年は短いタームだ。
一方で,初めてバレーボールを生観戦したあの感動の舞台にいた選手が誰1人いなくなったことに対して,途方もない歳月を感じる。そして誰もいなくなった,という言葉とともに,ほんの一瞬だけ,平坦な荒野のような光景が頭によぎった。
もちろん荒野なんてなくて,そこにはもっと若い子たちがきゃっきゃきゃっきゃと元気よく息づいている。そして今度の秋・冬もまた,13年前の「憧れのお兄さん」と同じくらいの年かさの「若い子」を愛でに,体育館に足を運ぶのだろう。