秋の軸
昨日のお題一覧にはかすりもしていません。案の定。
先日最終日のテンプレートを求めて春の最終日ごろをうろうろしていたら,春のリーグ後に「観戦の軸がなかった」と書いていたのが目に留まった。
そういえば,そんなことを感じていたなあ。
この秋は,ひとつ拠り所を作って観ることができた。いちおうは。もちろん,例によって「あれもこれもきゃーきゃー→結局どちらもまともに観られず」の傾向は残ったけれど,春よりはそわそわふらふらおろおろが少なかったように思う。
これに関しては,「ますたー」と呼んでいるところの,あちこち声をかけてくださったり一緒に観てくださったり楽しい情報や素敵な写真を提供してくださったりした方の存在なくてしてはなしえなかったことなので,ほんとうに有り難かった。夏の頃から今まで,すごく楽しかった。このあともね。ヨロシクオネガイシマス。
そうやって焦点が小さくなったことでほどんど観られなかったチームもたくさんあった。振替試合ぐらいでしか観ていないチームもたぶん少なくない。それは残念だけれど,あれもこれもと欲張りすぎると春の二の舞になっていただろうから,割り切るしかないのだろう。
どこかにべったり張り付いて観ていたのは一昨年の秋がピークで,あのときの自分の執拗さを思い返せば,今年は口で言うほどには愛も執着もなかった。
昨日つらつらと指が動くのに任せて最後の段を書いていて,書いたのを読んで「そうかー。動いているのをがっつり観るのはこの日曜が最後だったもしれんのかー」などと気づいたけれど,まだ実感が湧かない。単にすっとぼけているのか,インカレで日曜まで観られることを信じて疑っていないのか。
ふしぎと,さっぱりした気持ちでいる。それは自分の想いの浅さのゆえなのか,そのへんはわからないけれど,毎年毎年そこまで思い詰めていても疲れるだけだからねえ。自分の興味関心が年ごとにころころ変わっていくことに呆れながら,その年のチームはその年限りというサイクルに慣れてきたのかもしれない。
今日も今日とて,自分の気持ちをうだうだと掘り下げて文字にしようとしていますよ。そういうの好きなので。いつも,今の自分か少し先の自分のどちらかのために書いている。
たしかに,今年はビデオも担いでいかなかったし,第1試合だと決まって派手に遅刻していたし,自分の視線もさまよっていたし,各試合について異常な長文をしたためることもなかった(つもり)。でもそこで,過去と今とを並べて自分の気持ちの大きさや深さをはかってくらべて,大したことあるとかないとか評するのもナンセンス極まりない。
たまたま今ピンポイントで主将株が急上昇しているので,短期的に,好きという感情を持っている自分に酔って浸りたいモードがきているのは自覚している。もっとべたーーーっと「好きだー」って思って,「最後だーー,うわーん」って泣きたいわけね。だけど,実際見ている時はそうでもなかったし,今も,ほんとうのところそうでもないんだと思う。ええと,好きじゃないとかじゃなくて。
たぶん,いろんな好きの形があっていろんな好きの度合いがあって,その種類や大きさはどれも少しずつ違っていて,それらに優劣はつかない。08年に門を叩いた大学カテゴリに2度目に足を運んだのは高松がいたからだし,その年インカレに行ったのはシゲを見るためだった。2年目の観戦でがっつり嵌ったのは順大がツーセッターをやっていたからでポジションしゅんすけには魅了されまくった。その後4年間リーグとインカレに恒常的に足を運ぶようになったのは星野さんがいたからであることは疑いようもなく,だけど,今現役選手でファンを自称するなら迷わず小澤さんだ。それは他の選手を好きじゃなくなったということではなくて,自分の「ファン」の定義がすごくややこしくてせせこましくて,それに合致するのが小澤さんだから。小澤さんに関しては,自分の好きな選手を自分が望む形で自分の目で見たいという,タチの悪い我が儘な感情であふれかえっているので,ほんとうにタチが悪い。
そんなこんなで,星野さんが大学にいる間は自分も関東にいたいと本気で思っていた。生活の変化を望んでいなかったしもし変化したらどうしようと怯えてもいた。
彼らの代が抜けて,正直なところ,関東に対して強い未練はなくなった。おしまい,と言われたら,ちょっとぐずって,もしかしたらちょっとだけわんわん泣いて,それを受け入れるだろう。今年の春は90生の代に対する喪失感でふぬけになっていた。もうダメかもしれないなー,と思った。自分一人の趣味のことだからダメで全然問題ないし,行かなきゃそれで済むんだけど,最初は半ば惰性と半ば義務(なんの?)だった今年を楽しく過ごせたのは,今年の大学シーンも楽しかったからだ。ふぬけたまま春を乗り越えた後,世田谷コンソーシアムカップに行き,天皇杯の都予選に行き,国体のブロック予選に行き,そして秋のリーグ戦を迎え,間に国体の本大会と天皇杯のブロックラウンドを挟んだ。
だから,主将のことは好きだけど,主将だけじゃなくて。つうか,主将はもう,今更というか。細かいところは当然全く違うんだけど,ごくごく大まかに言ってしまえば去年の慶應の主将と同じ枠で,ああいうタイプが好きらしいというのはよく分かった。レセプションの要で個人賞ならサーブレシーブ賞かレシーブ賞。身長はあんまり大きくなくて打数は多くないけれどスパイクはクレバー。冷静でそれでいて情熱的で,チームを下から支えながら時には上から引っ張り上げる。1年のときから4年になったらキャプテンになるのが決まっているような選手。そして,優秀すぎて,
なので,今更です。主将一人だけじゃなくて,4年生が多くて彼らが自分達でチームを作って引っ張っていて,楽しそうプレーしているのが観ていて楽しかった。そして,強くてたくさん勝っていた。勝ちゲームを観るのは楽しいに決まってる。チームがうまく回るしみんないい顔をするし,それを観てると,観ている側も楽しい気持ちになる。
リーグの最終戦は負けたけれど,なんだろ。そりゃみんな悔しかったんだろうけど,うーん。うまくいえないけど,やな気持ちじゃなかったんだよ。そこに自分の思い入れのなさを発見して引いてるんだけど。押されてはいたけれど,かっこいいところいっぱいあったし,押されていたからこそかっこよく見えるところもあるし。試合としてつまんなくなかった。開始直後に積極的にセンター使おうとしていた意図が透けて見えたセッターの人にじんわりしたし,そのセンターの人も前日のgdgdを挽回すべくがんばってたし(そしてディグ),OPの人のひたむきさには胸を打たれたし,対角のセンターの人は相変わらずいいところでブロックを決めるしリベロやリリーフサーバーと交代してコートに出入りする度に,ぎゅってしてぽんぽんってして,ベンチで声出して,あああああああもう。
スタメンの4年生だけでもなくて。だけど,明治だけが他と比べて特別どうこうって言いたいのとは違う。どのチームにもそういうのがたくさんあって,そういう選手がたくさんいて,だからあれもこれも全部観たいってなるので。でも,この秋は明治を観ていた。日体戦でも専修戦でも,負ける気がしなかった。最終戦も第3セット後半ぐらいまでは負ける気がしないと思ってた。結局負けたのでわたしの「負ける気がしない」はなんのアテにもならないことが証明されたんだけど,最終戦の試合後半の「こっりゃあ厳しいなあ」という状況で主将の主将ぶりが頂点に達し,そしてわたしの頭が沸騰して現在に至っている。
はずかしいですね。こういうの。そのわりに試合中は対戦相手にきゃーすてきーって言ってたくせに。仕様です。
まあ,まだインカレあるしねー。のんき。この感じは秋独特よね。しかも,今年はインカレまで1か月しかないのでよけいにリーグがインカレ前哨戦めいていた。特に後半2週。閉会式はぜんぜん「おしまい」っていう感じしなかった。整列していた選手達は「さあインカレだインカレだインカレだ」ってわくわくして気が逸ってるようにさえ見えた。
一昨年の4年生や去年の4年生に対する自分の「特別」感はそうとうなものだったと今振り返っても思うけれど,始まって終わりが近づいてみれば,今年の4年生もやはりそれぞれに魅力的だった。節操なんてものはもとからない。バレーボールを観ていく上で,とくに,大学バレーを見ていく上で,年齢や年次に対してできるだけフラットでいようと心がけているんだけれど,秋の最後とインカレでの4年生に対してだけは,どうしても特別な気持ちを向けてしまうし,勝手に重い気持ちをのっけて特別視してしまう自分を許容したいとも思う。