年初にZest御池のふたば書房で岩波新書の「新選組」を買ったときに,

同時に買ったマニアな本が「京都時代MAP 幕末・維新編」(ISBN4-8381-0325-5 新創社編 光村推古書院 1600円+税)。幕末のころの京都市中のようすと今のそれとを比べてみられるという趣向で,幕末のころの京都の地図(本物の地図の写しではなくて,内容を落とし込んだもの)の上に,厚口のトレペに印刷された現代地図が重なっている。縮尺がそれなりに小さく道や主要な建物が一通り載っているので楽しい。A4変型ぐらいの版型で地図部分は16p(+トレペ16p)。紙と製本が高そうなのでこれで1600円は安いかも。


こういうのを見つけるとまず吉田村のあたりが気になるわけで,いやなに,びっくり。地図の殆どは真っ白(凡例不明。田圃とか?)なんだけど,中央キャンパスのほとんどと北部の半分ぐらいはちゃんと地図に書かれている。(今気付いたけど,北部って南が理学部で北が農学部じゃなかったっけ? 現代地図逆になってるですが。ありがち。)。特に中央は,敷地も周りの道もほぼ今のまま。つまり,滋賀越え(山中越)の道が分断されて東一条から吉田神社の前を迂回しているわけ。まぁ,たかだか130〜140年ぐらいしか経ってなくて,その内100年は大学の敷地になってるんだから,そうそう変わっているわけもないかもしれんけど,さて,何があったでしょう。


見れば納得。官有地ってことはお上お召し上げになってるわけですよ,あんだけの敷地(それも建物を建てられる用地)がね。


今まで一度も話に聞いたことがないから,それほど有名な話ではないわけだよね。1回生の時に「らいふ」に吉田キャンパスのあたりは昔どうなってたんや,という記事を書いたのは他ならぬわたくしですが,しらなんだ。いや,あの記事は吉田だけに限定していたから「ずっと田圃〜」というのは嘘じゃない(吉田とか南部とかは幕末地図でも真っ白)し,別にさぼったわけじゃないですよ(言い訳)。


今日明日とセンター試験ですが,今年の新入生に自慢げに話してみると尊敬されるかもしれません(きっとされません)。