映画の感想はそれぐらいにして


いい加減“三十路に手が届く(まるしー母)”歳して何なんだが,相変わらずある種の“恋愛になりかけ”描写にとことん弱いわたし。それを「若いもんはいいわねぇ」とか「あたしにもあんな時代があったわねぇ」とか「青春の一コマねぇ」とか思うのではなく未だにしっかり憧れの上方目線なのが痛いんだ。


わたしだってそのつもりになって振り返ってみれば数も量(?)も質も少ないながらも一応それなりに幾つかそれっぽいできごとを思い出すことも可能なのだろうが,基本的に,概ね,そういう経験を経ずに今まで来た。少なくとも自分史(と自分の記憶)の大筋に於いてはそういった出来事は皆無であった。そのかわりに得ているものがあるのだから,それ自体悔やむようなことではないのだが,ちょっぴり「惜しかったな」という気持ちがあることは否定しない。正直,過去形でなく今でもいつかどこかでそんな素敵などきどきに出会えやしないだろうかと,5%ぐらいは真面目に夢見ていたりする(だから痛いんだって)。


だけど,現実にわたしは“三十路に(以下略)”な年齢で,えと,歳を取ることがいいやなのではなくて若いのがいいというつもりもなくて(もちろん三十歳を引き合いに出していることに特別な意味合いもなくて),だけど,その年代でないとできないこととか,できなくはないけれど或る特定の年代だからこそ素敵なこと(それに相応しい年代)ってのも,存在する。そればかりは後になって悔やんでもやり直しはきかない。


仮にもう一度高校生をやったところで結局は同じような高校生になるだろうとは思う。誰に強制されたわけでもない,自分で選択した高校時代であり高校生だったのだから,つまりはそれがわたしが望む姿であり自分にできる最良だろう,と。自分の選択を心底悔いているわけではないから。


それは大学生活にしても同じで。大学生活を始めるに当たって訪れた数々の出会いは,運命的というか偶然の為せる技というか,うまくいえないけどそんな感じで,自分1人大学生をやり直したところで同じような出会いや同じような人間関係は構築できないだろうとは思うんで,もっかいやっても全く同じ結果になるとは言えないんだけど,だけど,自分のキャラは変わらないだろうし自分が選ぶ居場所,つまりは所属団体のカラーだとか友人達との友人関係だとかは,同じになってしまうんじゃないかと。そしたら仮に恋愛模様が発生したところで,夢見るようなドラマティックな現象は見込めないんじゃないかと。うん。


現実はそれほどドラマティックではないし,だけど,それほどドラマティックではなくてもそれなりに懐かしく思い返すことのできる青春の記憶を誰もが抱えて通り過ぎてきている,ということなのかなぁ。


えー,なにぶん守備範囲外なのでー。


あー,でもあの感じはいいなあ。たまんねぇよな。恋愛なりかけのどきどきなんて1人の相手に対して1回限定だからな。それってつまりもう絶対わたしなんかどんなにがんばっても後にも先にも1回だけだぜっつぅことになるわけじゃん。その1回すらなかったんだからな(←なにもこんなとこで暴露しなくてもいいんだけど)。いんだけどさ。そりゃ憧れるよな。幾つになってもね。満たされないわけだから。


こんなことを書いていると,数年前にとある友人(男)と,「経験値」なる傍目には無駄・無意味・莫迦きわまりない,しかし当人達にとっては至極大真面目というまことにしょーもない話題で盛り上がったことも思い出されるものであるよ。現状に不満はないけれど,過去を変えたいわけでもないけれど,だけどちょっとだけね,という,なんというか,ねぇ。贅沢で罰当たりなこととは思うのだけれど,そういうことをちょびっとだけね,思うわけで公孫樹の葉も次第にそまりゆく晩秋,いよいよ11月です(11月に意味はない)。


OB会の参確葉書出してないなぁ。どこいったかわかんなくなってしまった。1人や2人紛れ込んでも問題ないだろう(毎年そんなもんだし)とたかをくくりだしたらOB会も6回目。