フォーマットが
http://d.hatena.ne.jp/kana0355/20060513に適当極まりないコメントをしてしまったので,今更フォロー。
ブログと言われて想像するところの「見出しがついた記事単位」ってのは,はてなだけですかね。実際単なるWEB日記ツールとして使われているような気もするし。1日1記事(特にタイトルなし)のものも見かけるし。新聞的ブログの用語説明だと,完全にWEB日記扱いされているような気もするし(すべて「気もする」で片づける無責任)。
それはともかく,いちおうブログっぽい形式は「カテゴリ」と「見出し」があるものが多いと考えると,そのフォーマット自体は「まとまった文章」の低下には直結しないと思う。むしろ良質文章の手助けになるのでは。
何らかのテーマに対してその記事のタイトルを決めてから書くようにすると,誰かさんのようなだらだらと無駄に長く話もあちこちに飛ぶような文章にはなりづらいし,ちったぁ掘り下げて書こうか(見出し→1行がたくさんなのはかっこわるい)って気にもなろう。なので,ちゃんと書いている人(ってのが何かよく分からんけども)にとっては書きやすいし,htmlの知識がなくても作れる(し,デザインもテンプレまかせであまり凝らない)ことから,内容重視の良質な文章は増えていてもおかしくないんだがな。
しかし,気軽に書けるようになったことにより,猫も杓子もぶろがー現象は起きている気がしないでもない(わかんないけど)。だからって,良質コンテンツを書ける人間の割合が急増するとは思えないわけで,つまり総数に占める良質文章の割合そのものは変わらなくても総数の増加から「この日記じゃ使えない」と感じる日記にヒットする回数は多くなる。
ってのはあるかと思う。
その上で,フォーマットが与える影響について,1つ考えられることとしては,WEBブラウザや携帯電話から直接入力して書く形式がまとまった長文の妨げにはなっているのではないかと思う。
携帯電話は論外として,たまに職場や出先で更新するときについエディタを使うのを面倒がって直接編集画面に書くことがあるんだが,どうも使い勝手が悪いというか視野がせまいというか枠が狭い。今試しにはてなの編集画面に飛んでみたけど,立て幅が半分ぐらいしかない(印象)。エディタの同日の画面と見比べると,せいぜい3行ぐらいしか違わないので,実際は些細な違い(ほとんど気分の問題)でしかないんだが,どことなく,長文と戦う感じではない。
それに,各種キーバインドを使えないのも原因か(わたしはカーソルの左右移動ぐらいしか使えないから関係ないけど)。
まとまった長文書く人はおそらくエディタで書いてからこぴぺしていると思うけど(アップロードに失敗して消えることもあるし),結局は母体数の増加が……そこに行き着くのか。
わたしが個人的に「ブログは日記にならない」と思っているのは,生きていれば毎日いろんなことが起きるし自分の興味のある分野はそんなに少なくもないし固定されてもいないので,カテゴリを分けておくのが好きじゃないというのが一つ。(現実には野球の話しか書いていないだろうという突っ込みは禁止)。この際,ブログにカテゴリは必須じゃないという突っ込みも不可。
もう一つは,思いつくままにだらだら書きたい。日記ってのは基本的に「きょう見聞きしたもの・感じたこと」を書くものだと思うのだけれど,書きながら思い出している部分も多いので,あらかじめテーマを設定してそれに沿って書くという形式は……横着してるだけですがね。あと,印象的な出来事をいくつかピックアップして見出しに挙げて,それに本文をつけていったのでは,一日何時間あっても足りないというか1つ2つしか書けないというか(現状がそうなんだけど)。だからって,せっかくカテゴリや見出しの機能がついていたら,その機能を一切使わず毎日「きょうのできごと」ばかりをタイトルにして見出しはなしってのも芸がないかなどと妙な色気を出してしまったり。
まあそんなところ。本文先に書いてあとで見出しつければいいのよ,わかっているのよ。
アウトラインで書いてアブストラクトをつけられるような文の方が読みやすくて望ましいこともわかっているし,読むときのことや後々を考えると,カテゴリわけもあるにこしたことはないんだが,遊びで書いているのでそのへんをがんばりたくない気持ち。斯様にスタンスからしてとても人に読ませられるものではないので,ならば公開するなという話になり,実際たまに真面目にどうしたものかと思っているのだが,習慣とはなかなかかえがたく。