映画「シン・ゴジラ」から広がっていく,あるかもしれない世界:その3
そんなわけで,先の木曜日(18日)に3回目を観に行きました。リピーターっぽい1人客の姿も多かった(笑)。見終わって,毎日仕事帰りにレイトショーで見てもいいぐらいだと思ったのですが,さすがにそれはちょっと。はやくBlu-ray出ないかな。終わるまでにあと1回は行けるといいなあ。大きな画面で見たい。
二次創作系ネタ系タグばかり眺めていると,だんだん頭の中が混線してオリジナルの空気がわからなくなってくるので,オリジナルに戻るのだいじ。3回目ともなると「事前に仕込んだことを自分の目で確かめに行く」見方になるのですが,見方を変えれば新たな発見があるのが新鮮。
ゴジラが主役だけれど,ゴジラを迎える人間たちの映画。前半の閣僚の会議三昧が織りなす「リアルっぽい」のと,後半のファンタジックというかアニメっぽいフィクションの世界と,振り返るとえらい違うんだけど,だんだん映画の世界に入っていって,見ている間はすんなり見てしまうのが不思議。そして,映画に出てくる人の多さ組織の多さ場面の多さを改めて感じる。印象の中では巨災対の(キャラ,といいたくなる主要登場人物たちの)ウェイトが大きくなりがちだけど,実はそんなことはなく。改めて,自衛隊がかっこよかった。
解釈と説得力の問題
作品そのものを噛み締める一方で,ネタはネタとして全力で楽しむ。巨災対の日常にしろ内閣腐にしろ平和なシン・ゴジラにしろ,楽しんで眺めています。
Twitterのハッシュタグなので,いろんな人が相乗りで適当に使っているものなので,いろいろある。主流というか数が多い(架空)設定もあれば,マイナなのもある。わたし自身はたしなむ人ではなく見ているだけなんだけど,あの映画を見てこれだけのことを思いつけるのってすげえな,と舌を巻いている。
そんで,結局,キャラクタの解釈の問題であり,その説得力の問題に行き着く。
さいきん,尾頭さん(技官系の女性官僚)が手作り弁当の差し入れをするや否や(弁当の差し入れネタを漫画にして楽しんでいることに対して云々)論争をみかけた。
二次創作にとやかく言うなというのはその通り。だけど,ギャップ萌えであって女性らしさ云々ではない(男でも萌える)等々の意見をみていると,根底に今の世の中の共通認識としての性別役割の固定観念や職種に対する固定観があって成り立っているのはたしかで,それそのものをないことにするのは無理があると思うよ。そういう表現を二次創作として野に放つことの是非論とは別に。
でもまあ,根底はさておき,表出しているのは,要するに,自身のキャラ解釈と違う,というよくあるアレだった。作品内では当面の任務における立ち居振る舞いと発言が全てだ。人となりを窺わせる要素もちらほらあるが量は少ない。属性を示す情報は極端に少ない。描かれたものの解釈は観る人次第になる。まして二次創作においては。
公式には決まっていない設定を付与する以上,その解釈がどれだけもっともらしいか,その説を唱える人の表現にどれだけ説得力があるか,によって,大きく変わってくる。
たとえば。わたしは,「巨災対の日常」の初期によく見られた「打ち上げ」シチュエーションの小話が最初のうち苦手だった。というのも,あの面々は「打ち上げ」をしない(好まない)だろうと解釈していたから。組織の一匹狼はぐれ者オタク鼻つまみ者厄介者……そういった人々が別々の組織から臨時に集められたわけで,各々が各々の業務(任務)を全うしただけであり,打ち上げで親睦を深めることには意味を見出さず,仮に開催されても参加しませんときっぱり言っちゃう人が多そうだと(だから開催されない)。
でもそこに「あるかも」と思わせる説得力を持った解釈が出てくれば「あるかも」に変わる。これもたとえばだけど,便宜上仕切り役をしていた森さんが幹事となって軽い解散打ち上げ(極端な話,撤収前のフロアとか)ならするかもしれない,とか,人選に携わった人脈大臣の泉ちゃんが(公職選挙法に抵触しない範囲内で)何事か取り計らうなら実現するかもしれない,とか。霞ヶ関で働きこの事態の収束に招集される程度には有能で,「出世とは無縁」と言いながらも課長クラス(局長もいた)で実際人を動かしてた人たちだから,人付き合いも仕事のうち派かもしれない,という風に。
そうすると,次第に「アリ」の幅が広がり,慣れるにつれてそもそも「打ち上げするのか?」というひっかかりを覚えなくなるので,打ち上げネタや飲みに行くネタも,「そういうもの」として,(考え込まずに)楽しめるようになる。
掛け算方面のCP論争も同じことだとわたしは思っている。掛け算って要するに,このキャラとこのキャラだったらこういう関係が成り立つだろう,という解釈と仮説だと思うのね。キャラ解釈に説得力があるかどうか,シチュエーションが起こりそうと思えるものかどうか。
Twitterの観測範囲では,この映画の非公式CP最大派閥は断然安田尾頭と見ているのですが,それがなんでかっていうと,たくさんの登場人物の中でこの2人(特に尾頭さん)がインパクトがあり,キャラが立っていることと,2人の絡みがあること。実際に絡んでるのはほんのちょっとなんだけど,キャラの立ち方とそのほんのちょっとの絡みとで,妄想が無限大に広がっている。
尾頭さんの人気は言うまでもない。安田さんは作中ではそこまで出張っているわけじゃないけれど,動きや台詞が特徴的で(オタクっぽくて)二次創作において扱いやすい。
それにかわいい。あのかわいさが,観るものの心を掴んだと思う。最初の台詞らしい台詞が膝立ちオペレーションの上目遣いで出てきた瞬間に「なんだこのかわいい生き物は」ってなったね。まあ転ぶよね。
なので,内閣の人じゃない安田が内閣腐でもそれなりの勢力なのは,安田がかわいいからだと思う。
腐女子は無から妄想を生み出してまるで霞を食ってる仙人のようだと言われているのですが,いちおう種火らしいものを無理矢理見つけて火の有るところに煙を立ててるんだよ。たまにものすごいのもあるけど。