松竹映画「壬生義士伝」


30日にさいたま市内某所で何気なく新聞を読んでいた時に目に飛び込んできて,さんざ大騒ぎして自宅のHDDレコーダにメール飛ばして録画したもの(成功していました。ありがとう/私信)。昨日の夜,ついつい見てしまった。


前々から見たいと思っていたので嬉しい。なんでも地上波初だったとか。


「鴨」が「斎藤一」なのは去年の大河ドラマよりも先に知っていたことだし,虚無的なところが「鴨」とキャラかぶっていたのですんなり馴染めたのだけれど,「山南さん」が「沖田」なのがどう見ても何度見ても妙におかしい。いいとかわるいとかじゃなくて。「山南さんが若い」とか「山南さんが講武所風だ」とか「山南さんがポニーテールだ」とか「山南さんが笑ってる」とか。そんな感想ばかりがぽこぽこ浮かんできて,ここは笑うところなのかどうなのかと。血を吐いてさえ「笑うところなのかしら」とか。違うから。


そんなまたーりとした違和感もありつつ,この映画に出てくる土方や近藤,それから永倉や伊東や沖田を,なんとなく,「あぁ,こういう感じなんだなぁ」と思った。うまくは言えないのだが。


どうしても最初に触れたものがデフォルトかつスタンダードになってしまうもので,わたしのデフォルトは不運にもあんな近藤やあんな土方やあんな(以下略)だ。あんな近藤やあんな(以下略)をわたしはとても好きだけど,こんな近藤(斎藤一の独白で「俗物」と一言で片づけられていたのは不憫ではあるが。俗物がトップでみんなついていけたのかしら。土方さんががんばっていたのかしら。残されている写真の近藤勇はお馬鹿じゃなさそうだけど)やこんな土方(渋い。が,なかなか顔を覚えられなかった)やこんな沖田は大いにアリだと思ったし,永倉もかなり感じ出ていて(時宗の弟役の人だった)みんな説得力のあるキャラだった。伊東先生は出番少なかったこともあって最後まで掴みきれなかったけど(土方と区別つかなかった)。


斎藤一%左利きはかっこよかった。


でもまぁ。うーん。時間を気にしながら見ていたから最後没頭できなかったというのもあるけれど(見終えたときには2時半を回っていた),主人公吉村の行動規範はわたしにはわからないままだった。理解できないのではなくそれ以前に「見えない」感じ。しかし人間そんな単純なわけはないから,そんなもんなんだろう。機会があれば原作読んでみたいものです。


30日といえば,NHKの「どんとこい,新選組! 〜隊士座談会〜」も見ましたよ,これは録画予約をしていたけれど,浦和の某所でも昼時にたまたま。うぅう,こそばゆい気持ち。


わたしは一人小躍りして妙にはしゃぎはしたものの,その場にいるメンツで座談会受けできるのはわたし一人だったので凝視するわけにもいかず,見たような見ていないような。じゅんこさん(とその周り)には酷評だったようで,やはり支持する層に偏りはあるよな。わたしはあのドラマを擁護しようとは思いませんし。