伝えたい気持ち


例のファンレターは結局ほぼそのままの文面で出しました。強気。だいたい手紙って,切手まで貼っておいて出さないことが多い(切手寸前の段階までいって出さないことも多い)のだが,それではいかんと思い切った。


今になって,あの文面では読んでもわたしの伝えたいことは読み取れなかっただろうとか,あそこはああいう風に書けば良かった,などとぼろぼろ反省点が出てくるのだけれど,もはやブツはポストからも回収されてどっかの郵便局にいるだろうから取り返しはつかない。早ければ明日にも都内某所に配達されることだろう(もっともそこから本人の手元に届くまでにはおそらくそれなりの時間がかかるのだろうが)。


出した後だから気づける(手元で温めていても気づけない)こともあるし。もちろん日を置いて何回か検討すれば幾分かは精錬された(或いは洗練された)文章にできる可能性は高いが,そこまで大がかりにしてしまうと行き詰まって却って収拾がつかなくなることも大いに考えられるし,その内タイミングを逸して出せなくなるのも目に見えている。


伝えたいことが伝わらないような文章では出してもあまり意味がないのかもしれないけれど,出さなければ何も始まらない。伝えたいことがあると思っている人間がいることすら本人のアンテナにかからない。だから派手な誤解(正反対の解釈)さえされなければ,拙くても最適でない表現でも,いいことにしようと。


とまぁ,へちょへちょな手紙文しか書けなかった自分をこうして屁理屈で慰めているわけです。日ごろ自分の文章力に関して根拠レスな(鼻持ちならない)プライドを持っているだけに,こういう時は凹みます。しかし,もともと自分の意思を伝えるのって口頭でも文面でも苦手ですんでね。


便箋に手書きして封筒に入れて郵便で送る手紙は手元に履歴が残らないので(控えを取ればいいのだけど,しないので),少し日が経つと出したか出していないかわからなくなる。昔,手紙を出した覚えが全く無い漫画家さんから年賀状が届いたときには驚いた(今でもどうして届いたのかわからない)。そして今回もまた,今日の夕方になってふと,以前に一度同じチームの別の選手に手紙を出したことがあったんじゃないかしら,などと思ったのだけれど,港区某所の住所を書いたのは初めてな感じがしていたし定かでない。「あんなことを書いたような」という内容だけが記憶にある(脳内手紙かもしれない)。出していたとして候補は二人の内のどちらかに絞られるんだけど,まぁどっちでもいい。出した方が覚えていないくらいだから受け取っている方も覚えていまい。仮に2度目に出す機会があったとして,そこで「初めまして」云々と書いたところで,たとえ過去に貰った手紙を保存している人でもいちいち付き合わせたりはしないだろうから差し支えはないだろう。


と,ここまで書いたところで,出した先は某バレーボールチームではなく某プロ野球チームの誰か(誰だよ)なんじゃないかとか,ますますわけがわからんことになってきた。あまり(滅多に)ファンレターなど書かない自分ではあるけれど,自覚していないだけで,記憶に残らない範囲でそこそこ書き散らしているのかもしれませぬ。


何にしても,文章を短く収めるのが難しい。必ずしも「うまく」書かなくてもいいにしても,知らない人に手紙を書くのはなかなか簡単なことではない。


それよりも一言だけで済む小さなメッセージカードを添えて手頃な物品を贈る方がよほど手っ取り早いし,貰う側にとっても(益体もつかない汚い手書きの紙切れだけよりも)メリットが大きい気がする(わたしは人に物を贈るのが苦手なのでこれはちっとも現実的でないけれど,よっぽど大外しさえしなければ物を貰って嬉しくない人はいないだろう)。


もっと手っ取り早いのは,というか,正味の話,本文一行あとは該当記事のURLを書き付けて「気が向いたら時間のあるときに読んでください」という方がわたしの場合正解かもしらん。読まれない可能性が高いしたとえ読んだところでどうってこたぁない(大いなる時間の無駄にしかならない)んだが,「なんか痛いヒトいるよ」ってことだけは十分すぎるほど伝わるだろう。(でもそれってただの嫌がらせかいい迷惑なんじゃぁ……)。


自分のサイトのURLを送りつけて「見てください」なんつぅのは,相手に負荷を要求する行為だし(「お手数ですが…」ってやつだ),なんとなく自己顕示欲ありありっぽくてちょっとひっかかる。それもあって今回「URL併記」案がちらと頭を掠めつつも実行には移さなかったんだけど(最大の理由は「相手の神経逆なでしそうなことしか書いていない」「ついでに他の記事まで読まれると非常に恥ずかしい」に尽きるが),考えてみればファンレターを出すのも多かれ少なかれ自己顕示的行為ではある。ここにファンが一人いるよ,ってことを知ってほしい気持ちがあるわけだ。


だったらURL送りつけても同じではないかと。別に自分のサイトの売り込みをしたいわけではなくて,ただ,苦手な手紙文(短文)に苦心惨憺まとめて結果言葉足らずだったり月並みで無難なことしか書けないのよりはネット上に上げる文章の方がずっと的確に自分の感想を書きやすいというだけのこと。相手がそれだけのネット環境にあるかどうかの確認は必要になるけど,今時,仮に本人がネット環境を私有していなくても,Webページを見ることに多大な労力がかかることはないんじゃないか。ほんとにURLだけってのはあんまりだけど,サブ扱いなら躊躇うことはないのかも。


ファンレターなるもの,基本的には「書き手のことに関心を払う必要はさらさらないんだけど,とりあえずあんたのことを気に掛けている人がいるんだからがんばりなさいよ」と伝えたいものだったり(つまり,柱の陰から励ましたい気持ちだったり),或いは「いえいえ,名乗るほどの者ではございません」とお礼の金一封だのお礼の品だのだけ無記名で届けるのに近い(←これは現代ではちと恐い現象になりますが)気持ちであったり(つまり,ただ謝意を伝えたいだけだったり),なんですけど,しかしそこにささやかではあっても「私に気づいて」感がゼロとはいいきれないような気がする。少なくとも今回のわたしの場合は。


だって,書き手である「私」を認識してほしいのでなければ,公式BBSに適当なハンドルでメッセージを書き込む方法で充分謝意や励ましは伝えられる。同じく公式サイトから選手に個別にメッセージを送ることも可能だろう(多分)。それらの手段の方が格段にタイムラグも少ない。それをわざわざレターセットに下手な字を書いて宛先書いて80円切手貼って,挙げ句リターンアドレスと本名明記の上に本文中に決勝戦をどの辺の席で見ていてなんていう余分な情報まで盛り込んでいるのだから,それはささやかどころか盛大なる自己顕示(認識して欲しい感)ではないかしら。


貰った方の読みやすさなんて完全に無視して,テキストだけのWeb経由メッセージと異なりパッケージで他との差別化が図れる(個別認識が容易である)ことだとか,メール(Web経由のメッセージ)に比べて何倍も(少なくともテキストエディタで下書きしたものを紙に手で書き写す分だけの)労力だけはかかっていることだとか,つまりはただの自己満足だけど,そんだけ力入ってんだよこっちは,みたいな,ね。


もっとも現実には,ファンなる人々の皆が皆ネット環境なわけでもないだろうから,今だって郵便配達される手紙の数も少なくはないだろう。手紙として届くことはそこまで(わたしが自分で考えているほどには)特別なことではないだろうけど,これはあくまで自己満足の世界だから。むにゃむにゃ。


と,こうしてまた一つ反省点が……。ただ,今回は案内すべきコンテンツは用意されてないから後悔する必要はない。


ところで,手紙を書くにあたって大嘘も書けないので,過去の日記での言及だけでも確認してみようと(私的な書き付けはかすぱーを探さなければならないから省略して)ざっとファイルを検索した。あまり固有名詞を出さないように(これでも一応)しているので肝心な調べはつかなかったのだけれど,予想外に3年も前の日記がひっかかってきた。成る程確かにわたしの印象に残るだけの露出(活躍)をしていた時期があったんだな,と。だから昔から云々というのは今になって言いだした調子のいい話ではないのです。