自分用覚え:ファンレター(らしきもの)を書いた


取り立てて騒ぐようなことではないのですが。すでに騒いでいますが。


7年ぶり3回目,ぐらい。もう少し多いかもしれないし少ないかもしれない。昔からの悪い癖で,何かにつけ物事を完遂するのが苦手なたちで,手紙を書いて中には封をして切手まで貼ったのに出しそびれる,ということがしょっちゅうある。だから正確な回数はわからない。出した気まんまんだけど実は出していなかったファンレターがあるかもしれない。だけど,35年生きていれば忘れてしまった過去の出来事の方が圧倒的に多いわけで,いくらなんでも3回よりは多いはず。


中学生か高校生のときに某サッカー選手におてがみ書いたのがたぶん最初で,何を書いたかはさっぱり記憶にないが,驚いたことに達筆の直筆でお返事の葉書をいただいた。応援ありがとうございます優勝目指してがんばりますといった類の(今思いつきで書いているので具体的な記述は全くのでたらめです)。家族に郵便物を仕分けされてダイニングテーブルの自席の前に置かれてときにはめちゃめちゃ恥ずかしかったけれど,返事が来るなんて考えてもいなかったので,信じられない気持ちで手が震えた。


返事らしい返事が来たのはあとにも先にもその一度きりで,まあ,返事が来ないのが当たり前でしょう。自分が仮に二十代後半のプロサッカー選手だとしてファンの女子中学生(高校生?)から拙いファンレターをもらったとして,どうリアクションしていいかわからないもの。それなのにうっかり想定外のことがおきると,動揺のあまり布団の上で転げ回ってしまう。


それから,やはり高校生時分だと思うのだけれど,ある年の自分宛の年賀状に漫画家さんからの年賀状が含まれていた。さすがに直筆ではなく印刷されたものだったけれど,心当たりがまるでなかったので,そのときもたいそう驚いた。いただいた時でさえ覚えがなかったけれど,前年にファンレターを書いたと考えるのがもっとも理にかなっている。懸賞の応募やアンケートではないと思う(自信はない)。当時読んでいた雑誌の看板作家さんの1人だったのでかなりの量のファンレターが届いていただろうに,きちんと整理・保存しておいて年賀状で返事としているらしいと想像するに,途方もない気持ちになったものだった。


別の漫画家さんにあてて書いたこともあった。こちらは書いたことだけは鮮明に覚えている。漫画作品を読んでの手紙ではなく,たまたま著作の新書を見かけて,いろいろ思い出して書いた。出したかどうかはわからない。


前回(と思っている7年ぐらい前)は某バレー選手にあてたものだった。そして,投函もしたと記憶している。パソコンで下書きして文章はつくりあげて,最後はほぼ転記しただけだった。だから今でもそのときの原稿が残っている。


パソコンを下書きに使うとどうしても長くなりがちなので,今回はアウトラインからすべて手で書いた。だからそのメモを捨ててしまえば,書いた証拠も出した証拠も残らない。今朝無事に郵便ポストに投函したので,投函した事実を記録として残しておく。


すさまじく久しぶりにファンレターらしきものを書いた。全く珍しいことをしたわけでもないし大したことをしたわけでもないのだけれど,ふだんあまりに郵便を利用しないので,思いつかなかった。ひらめいたときには「おおおお,その手があったか」と思ったね。


そして,時代が変わったなあとも思った。思いついてから実行するまでに躊躇った最大の理由が「今時,直筆の手紙ってアリなんだろうか」だった。ほかに方法もないのに。たくさんいると思いますよ,と背中を押していただいた。


さきに先様から何かが届いた経験を書き連ねたが,単に思い出を記しただけで,それを望んでいるわけではけしてない。読んでもらえればそれで充分。目に留まらなくてもそれはそれ。確認のしようはないから,運を天に任せる。


わたしにとってはファンレター(らしきもの)は,自己満足でしかない。ささやかな自己顕示欲のあらわれ。ただ,ダイレクトに伝えたい何かがあるときに発動する。ふだんこのへんで書き殴っている感想や感情の吐露とはその点において異なる。その「何か」が単なる自己顕示だとしてもだ(今回はちょっと違う)。


文章を書くのは得意じゃない。うまく書けない。伝えたいことが伝わる文章には,きっとなっていなかった。そんなん送っても迷惑じゃないかという迷いは当然ある。読んでる時間が勿体なかろうという申し訳なさもある。だけど,少なくともわたしは,読んでますよ,と言われたら嬉しい。すごく。わたしと同じメンタリティではないにしても,体育館にいる有象無象の人間の中に,ファンとして会場に足を運び試合を観て何らかの感銘を受けている人間が存在しているということも込みで,伝えてみたくなった。


それが何かの役に立つのか立たないのか,そうやってどきどきしているのもひっくるめて,自分が楽しんでいる,ということではある。


ほんの僅かでも何かが届くといい。