5月3日


11:55(GMT+0900)関西国際空港KIX)にてT嬢と待ち合わせ予定。が,相変わらず寝過ごして派手に遅刻する。食事会は省略して(ごめんなさい)スタバでコーヒーを飲みつつ。


関空は2001年のG.W.(例のバリ島)以来。空港使用料が航空券代に込みになってからは初めてかと。


13:40のツアー集合時刻には遅刻せず。参加者19名。この手のツアーは初めてなので異常に緊張していた。蓋を開けてみると我々だけ群を抜いて年齢が低かった。人の年齢を判別するのは苦手なのでわからないが,8割がた50歳は超えていたと思われる。


15:40中国国際航空のチャーター便で出発。JTBのさまざまなタイプまとめてで貸切。3:4:3シートの小さめの機体とはいえ,えらいこっちゃ。機内,スクリーンに映し出される地名の簡体字表記や英語表記にもえー。


機内では,安定飛行に入ってさっそく機内食。が,わたしの座るブロックの周囲6人ぐらいにはなぜか機内食が出なかった。まともに昼食を食べていないワタシ。飢えそうになる。飛行時間約6時間。到着間際に出たおつまみ(何だったか忘れた)をむさぼる。


21:20ごろ(GMT+0800)ウルムチ国際空港(URC)着。東経87度(バンコクより西)なのに北京時刻(というか公式には標準時は一つ)なので,外はまだ薄暗くなりかけだった。偉い人でもないのに,オープンエア(屋根なし)のタラップで地上に降り,空港ビルまで徒歩で進む。建物は,国際便が着いているというのにONJぐらい(そして古い)。入国審査のゲートもずるずる。そこへ日本人ばかり数百名が行列。ずるずる。バゲージクレーム(といっても,パスポートコントロールの奥にコンベアが這っているだけ)に荷物が届くのが遅いのだが,窓の外にわれらが乗っていた(荷物も載っている)機体がころがっているわけで,そこからスーツケースが運ばれている様も見えるわけで,“自分で運んだ方が早いよね”。


無事荷物を受け取ったところで,ジーンズの尻に突っ込んでいたはずの携帯電話(二日前に機種変更したばかりのぴかぴかプレミニ2)がないことに気付く。一応荷物を全部漁ってみたが当然のようにない。どうやら機内の座席に置き忘れて降りてきたらしい。頭の中には前回の旅行時成田で機内にJORNADAを置き去りにした一件が蘇る。学習能力のないわたくし,トイレに立つときに椅子に携帯電話を放り投げてそのままにしてしまっていたのだ。降りるときに気づかないのも前回同様。どうもあのブランケットが曲者らしい。機内で携帯電話なんて使わないのだから,早い内に鞄に仕舞えばよいのに。


添乗員さんにその旨を告げると,現地ガイドさんに伝えて空港職員に掛け合ってもらうようにとのこと。ガイドさんには初対面なのに挨拶もろくすっぽせずに開口一番「機内に携帯電話を忘れてしまって……」。


えぇと,結論としては,例によって例のごとく。職員に連行されて入国したはずのパスポートコントロールを逆流し,灯りの消えた薄暗い階段を駆け下り,ごつい鎖と南京錠で施錠された開かないはずの扉を開けてもらい,そこからはとうとう1人夕闇迫るおんもに出されて,機体まで小走り。


乗客が降りた時にはなかったスタッフ用の細くて急な階段を駆け上がり(高所恐怖症だと楽しいかも)機内に飛び込んでみれば,乗務員さんたち(パイロットや客室乗務員)が紙コップのコーヒー片手に新聞広げてまたーりとくつろいでいましたとさ。北京語もウイグル語も英語もできないわたしは日本語で「携帯電話を忘れたんですけど」と席番を告げて,客室乗務員さんに探していただいたのでありました。記憶がはっきりしていたから瞬時に見つかって手元に戻ってきたのだけれど,とりあえず,彼らは機内の座席のチェックも片づけもせずにくつろぎタイムに入っていたわけですな。当然か。


あのタイミングで気づいていなければ手元には戻ってこなかっただろうとのこと。逆送を始める前にそう言われて送り出されその時はピンとこなかったんだけど,機内の様子を見て理解したよ。本人を直接機内まで戻らせるというのが,ちょっとびっくりではありました。サービス云々ではなくセキュリティの面で。もっともわたしは明らかに非力な日本人の団体ツアー客の小娘なのだから,その手の心配は無用ではあるのだが。


さて,長い一日はまだ終わらないのだけれど,取りあえずはこの辺で。いずれにしても,ツアー同行者さんたちにいの一番に顔を覚えられたことは間違いありますまい。そうでなくても最年少2人連れでそこそこ目立っていただろうに。