ETVの「趣味悠々」で,
おとうさん(って何だろう?)の為のピアノレッスンというのがあり。課題曲が「地上の星」なあたりに意味不明なおもしろみを感じる今日この頃。幼女がお稽古を始めるのとは違うんだよね。いきなり「地上の星」,いきなり両手(練習は片手ずつから始めてるだろうけど最初の課題曲が両手で弾く曲だ)。赤バイエルとはえらい違い(笑) それって,外国人日本語学習者が必ずしもひらがな50音から始めて小学校の配当漢字なみの順序で漢字を覚えていくわけではない,というのと,同じような気がするのですが。つまり,短期間で実利を求めている感じがするあたりが。
こないだ人に言われて気付いたんだけど,今わたくしと交流のある人でわたしがピアノを弾いたり笛を吹いたりしているのを見たことがある人はほとんどいなくて,ピアノに至ってはゼロでしょう。わたしがお薄のお点前しているのを見た人がいないっていうのと,ゼロという点において同じなわけだ。
でも,今は弾きたくても弾けないので,昔習っていたということを他の人に証明する術もない。
ピアノを弾くというのは,技術的なことに限って言えば頭で考えてどうにかするものではなく,体で覚えるしかない。体で覚えるしかないのだが,自転車に乗る技術と大きく違うのは,1度身につけても弾いていないとすぐ出来なくなること。1日練習をさぼったら取り戻すのに○日(忘れた)かかる,とはよく言われていたもので,それで行けば,わたしは,習い初めの幼稚園児(或いは,趣味悠々が対象とするおとうさん)と同じレベルにまで,もうじゅうぶん戻ってしまっているわけだ。
毎日と言わないまでもそれなりに定期的に取り組みつづけないといけないというのは,それに取り組むことそのものを目的とする「趣味」という観点で考えれば適当かもしれないが(のびていく楽しさはあるから),習得することで何かの役に立つかというと,それはさっぱり期待できない。
家電量販店には電子ピアノを売っていて,電子ピアノと一口に言ってもタッチがピアノそっくりのタイプのものもたくさんある。音質も昔と比べると格段に良くなっていると思う(ニセモノくささは拭えないけどねぇ)。近くを通りかかると面白がってついつい触ってしまうのだけれど,最近,ほんとうに情けない思いをすることが多い。指の強さも長さも5本とも違うので,同じ調子のつもりで弾くと出てくる音は揃わない。音は正直なので,しんじられないぐらいへたくそなというかというかというかというか。
むぅ。かつてピアノが弾けていた自分とかつて今よりは(あくまで相対的に)痩せていた自分。どっちにしても,過去に経験していなければそこまで希求しないかもしれないのに過去に実現できていたと思うと,なんだか悔しい。なめてかかかってしまうところもあるのかね。