消え物と一口に言っても(「一口に眼鏡っ娘と言っても」と似たような始まり方をすることに作為はない)。
食べ物に限らない。先日京都に行ったときの買い物話,予算を呈示されてその額の高さにわたしがびびりまくったという話は以前書いたが,それは例年であれば細分して使われるクリスマス関連予算の総額に相当するのだった。
後に残らないものは忘れやすいし,目に見えないものにかかっているお金はそもそも意識されにくい。と,そういうこと。具体的には,交通費と食費(2人分)。
この話を誰かにしたところ,10万円ぐらい? って言われたっけ。想定交通費や想定食費が全く違うんだな(きっと想定プレゼント費も違うのだろう)。すげぇや。人それぞれってことだ。
こんなことを書いていてふと思ったが,ならば,M2の冬に宅配便で送られてきたホワイトゴールドとアクアマリンのピアスはわたしが思っているより遥かに高いのか? あの年こそプレゼント以外にはなんもなかったはず。うわ〜,どきどき。いや,そんなことはあるまい。使わなくていいものを無理して使う必要はない。交通費や食費が発生しないならその分削ればいいじゃないか。年度末のお役所じゃないんだから。
値段が高いから安いからどうこうってことじゃないんだけど(だからって知りたいとも思わないけど),たまたま今日そのピアスをつけていたので(それも今日歯医者で待っている間何の気なしに触っていたら,スイングするアクアマリンのパーツがとれてしまった/なくしていないし壊れたわけではないのだが,手では直せそうにない。どうしたものか),何となく繋がってしまった。
相手が喜ぶことと存在感があること(残ること)は比例しない。たとえば知り合いのカップルで,今はどうだか知らないが,誕生日だののイベントで物を贈り合うことはしないという話を聞いて驚いたことがある。わたしはその辺の経済観念というか金銭感覚に欠けるキライがあるのだが,消えない物を渡すのも食べ物を渡すのも一緒に外で食事をするのも一緒に旅行に出かけるのも一緒に外で遊ぶのも,何でもお金はかかるし出所は突き詰めれば一箇所しかない。
要はその予算をなににどれだけ使うかということで。資金が無尽蔵でない以上,効果的な使い方に頭を使うことになるのだね。
こんなことを今更ぐだぐだ書くわたしは「予実」という言葉を理解していないし未だにお金の使い方はなっていない。以前の「消費=罪悪」の状態から,今は「なんだか無尽蔵」に振れている。そう。電子ピアノ(ヘッドフォン対応のやつ)が欲しいかもとちらと頭を掠めたことは内緒。置き場所がない(どうやっても作り出せない)のが幸いした。置き場所があったらわからんかった。怖い怖い。