書く
読まれる記事と力の入った記事は往々にして違う。
アクセス数を調べていないが,編集画面の「リンク元」を見る限りでは,何を書いても2桁に乗ればいいほうだ。RSSリーダーで読んでもらえていると信じたいぐらい少ない。
気にかけている人が多いけれど見にいける人が少ない試合に言及するとその時は増える。黒鷲の平日とか。
書いたからには読んでもらえたほうが嬉しい。
そのためには同じ内容を分割してついったに投下すれば3桁の人のTLに無理やり流すことができる。その数はブログの比ではない。
だけど,なんだか,そうじゃない,んだよな。ついったの3桁のフォロアに「読んでほしい」ことと,ここで「書きたい」こととは,たぶんちょっと趣旨が違うのだと思う。
うまく言えないけど。
実のところ,ついったのほうがよほど読み手を意識していない。想定もしていない。@をつけずに書いているものは本当に独り言だ。
一方ここでは,特定の一人に向けて文章を書いている。
まれに内容によって,その一人以外に届くことを想定するけれど,色気を出してもあまりうまくいかない。
動画もそうだけど,ネット上に放流したテキストは,テキストの内容のみがすべてであり,「わたしが」書いていることに意味はないものとして取り扱われる,そういう世界なんだろうと,割り切る(ように諭された)。
それは良いとか悪いとかではなくてそういうもので。
わたしが書いた文章を「わたしが」書いたものとして読む読者が少なくとも一人いてわたしはその一人に向けて書いているが,そのテキストが偶然にも(書き手という属性を失ったただのテキストとして)いつかどこかで誰かのささやかな欲求を満たす役に立つのなら,それは何もないよりは良いのではないかと思って,日々(という頻度ではなくなったけれど)放流している。