大河ドラマの再放送の後,

のんきに電話をしていたら,予定の時間に間に合わなくなり外出予定その1をキャンセル。その2(宴会)には出るぞ。図書館に寄って本を返さねば。


少し前から,春物の衣類や靴を買わねばと思っているのだけれど,ブツが必要であるという認識と,買い物という行為をしたいか否かとは必ずしも一致するものではなく,要するに,買わなくちゃ,とか,着るものや履物に困っているんだよぅ,とかは日々思っているけれど,お買い物に全く気分が乗らないと言うか,めんどくさいと言うよりも“したくない”に近いぐらい。都会の喧噪は疲れるし。そういえば,駅近くのブティック(と店頭に書いてあるお店)にSALEのポスタが貼ってあったっけ。今まで入ったことはないのだけれど,人も少なかろうし,ディスプレイされている服はなかなか悪くない感じなので,行きがけにでも覗いてみようかな。下着屋もあったな,そういえば。難しいのは靴か。その為にはかなり早く家を出る必要があるのだけれど,こうした夜から始まる集まりの時は,いつも“早めに出て,どこかでお買い物して”などと考える割に実際にはぎりぎりにならないと家を出ない。そして結局はたいがい遅刻をする。


夕方まで出ないのなら洗濯をするか。


で,肝心の(?)大河ドラマだけど,何か書こうと思ってエディタを開いたのに,上のだらだらしたのを書いている内に,すっかり忘れてしまった。何だったんだろう。山岡さんと清河(前回漢字を間違えていた)さんの関係がアヤシイとか,まさかそんな話ではなかったと思うのだが。


思い出した(←まったく編集する気の感じられない書き方だ)。しつこくも漢字の話。今回,京に上った浪士組の面々が署名をするという場面があり,署名された紙が画面に映っていたわけですよ。これはドラマ用小道具ですね。で,ドラマ後の新選組ゆかりスポットを紹介するコーナーでも,八木家(壬生にある,最初に根城にしていたおうちですね)に伝わる野辺帳だったか,そこんちの息子の為三郎さんが書いたものだったか或いは署名だったか,ともかく近藤勇沖田総司の名が見られる紙切れが紹介されたわけでございまして,後者の沖田の名前が「沖田總司」(漢字出ていないかもしれませんが,察してください)と書かれているわけですよ。別にそれは珍しいことでも何でもなく,何でもいいのですが,「總」と「総」って同じ字だっけ違うっけ,というのがちょっと気になったわけです(長いって。)


ドラマ中の小道具の方はどうだったかなーと思って今し方,某サイト(昨日リンクした「渾身猫パンチ」さんとは別の)を見に行ったのですが,楷書に近い書体で書かれてはいるのだけれど,右上のパーツだけはやたら小さく略され気味なので,判別できず。


「總」の字をinfoseekのマルチ辞書検索にかけたら,国語辞典(大辞林)では出てこない。漢字辞典を調べたら,画数と文字コードと音訓と異体字しか出てこない。「總」の異体字として「総」が出ていて,「総」を調べたら「総」の異体字として「總」が出ていて,「総」の方には常用漢字と書いてあるけど,なんのこっちゃかさっぱりわからん。で,どこの漢字辞典やねん,と思ったらば“漢字辞典:『オリジナル漢字検索データベース』約7300文字”だそうで,うさんくせぇ。「総」なら国語辞典に載っているかもと期待してみたところ,「(接頭)名詞に付いて、すべてがその状態にある、そのすべてを含むなどの意を表す」。……国語辞典だからな。


Webで検索できるまともな漢字辞典を探すしかないのか。


それも面倒なので,本棚の奥の方から角川の「新字源」を引っ張ってきて,これも日本語による日本語の為の漢字辞典ではあるのだが,それで調べたところ「總」が旧字体とな。「総」はもと俗字によるもの,と。そんな感じで全然ドラマとは関係なくてごめんなさい。


ところで,耳偏の「聡」と「聰」も同じく新字・旧字の関係なのだが,“お”と思ったことには,「新字体は人名にかぎって用いられる」との註釈があり,また「聡」は常用漢字ではない(人名用漢字)のだった。中学時代,この字を名前に持つ男子を複数人知っていたし,「さとい」という意を込めてかよく使われる字だと思うのだけれど。(で,ATOKは「聡い」と変換するのだけれど?)


画数の少ないやさしい漢字が全て常用漢字なのではないし,主旨からすると「よく使う漢字」が常用漢字になっている筈だけれど,少し前までの新聞を見れば,よく使う漢字でも必ずしも常用漢字に収録されているとは限らないことはよく分かる。パソコンが超高級品だった昭和56年内閣告示の「常用漢字表」に掲載されている常用漢字は1945字,人名用漢字は平成二年の時点で402字(ただし,それとは別に人名用漢字許容字体が205字)。角川新字源は俗字などかなりレア(見たこともないような,生涯目にすることもなさそうな)な漢字も収録していて約1万字。


これだけ異体字(意味の区別をしないが字体が異なる字)が膨大だと,そもそも漢字は全部で何個あるのか,という疑問そのものがナンセンスだな。タイ文字の子音字は44字(たしか)あるけれど,音韻としての子音の数はそんなにもないというのと同じだろうか(違うか)。しかしタイ語を引き合いに出すのはどうだろう,自分。ともかく,<漢字>に限って言えば(日本語の話ではなく),発見されている甲骨文・殷金文の総字数が約3千4百字,後漢の「説文解字」が9353字,清代の「康煕字典」は比較するのもばかばかしいが古文含めて4万9千字余。


現代日本語で使われている漢字はどれくらいあるのだろう。常用漢字・人名漢字・人名用異体字・その他,の,「その他」がどれぐらいかわからないとどうにもならん。何の参考にもならないけれど漢字検定は準一級が3千字で一級が6千字だったかな。準一級の時点でわけわからん(見たこともない)漢字・熟語が殆どだったので,3千字でヲタ認定,6千字知っていればヲタキング認定されるってことかしら。


3千字だと多いけれど2千字では足りないのが日常生活レベルの漢字の数と考えてよいのかしら。常用漢字の1945字は一つの言語を表記する為の文字の数としてはそれでもけっこうな数と思うけれど(加えてひらがな・カタカナ各50,アルファベット26字も今や必須だろう,そのほか記号類少々),上に書いたとおり,どうやら人々の日々の生活ではいくらか不都合が残ってしまう程度の数のようなので。何故1945個とされたのか,そこにはきっといろいろな思惑,じゃなかった,配慮があったのだろう(それとも敗戦に引っかけているのだろうか。しかし戦後定められた当用漢字の数はもっと少なかったから違うよな)。今となっては,ごく一般の人々は,その漢字が常用漢字か常用外なのかを意識してはいないだろう。常用漢字ぐらいは読み書きできなければ,といった意識も,持っていないのではないかしら。「常識的な漢字の読み書き」といった意識があったとして,それが「常用漢字」という分け方と結びついていないという意味ね。


この「常識」というのはその人の環境により随分異なるもののようで,先日おおにしと「読めない漢字シリーズ」についてメールのやりとりをしたときに,彼は,彼の周囲の人間はほぼ100%読めて意味も分かるがあまり一般には通用しないと思われる熟語として「輻輳」を例に挙げてくれた。これなどどちらの漢字も常用外である。それでも彼の周囲の人々は読めるし使っているので彼らにとっては「常識」の範疇だろう。


それにしてもinfoseek大辞林,「総」の用例が“「―収入」「―入れ歯」「―掛かり」「―ルビ」
”ってのは(笑)。「ルビ」は市民権を得ていると考えて良いのね。


……結局洗濯しなかった……。


今更だが,Webの辞書検索は,読みが分からなくても引けるのがたいへん便利だ。単体の漢字を調べるときには,読みが分からないときは総画索引を使うよりほかなく(四角号馬索引のついた辞書がどれほどあるか。それにあれも規則性がいまひとつ),画数が多い字や同じ画数の漢字が多いときには,調べるのに大変手間取るものだ。まして読めない漢字を含む熟語の意味を知りたい,となったら,或いは誤った読み方をして国語辞典で熟語を引こうとしたら,もはや手の打ちようもないという,まこと日本語の表記というのは複雑怪奇奇々怪々(ではないけど)(16:38)