某AK制作ドラマの話ではありません


これですよ,これ。吹奏楽ネタ,キターって感じです(2ちゃん用字はわからんので普通に表記しますが)。


まずは「はてなダイアリー 似非と現実の日記」7月26日付けを読まれたし。


夏休みと言えば部活。それはどこの部活動だって同じだろうと思うのだけれど,吹奏楽部の面々は8月の上旬(時期は都道府県によって違うのかも)に所謂「吹奏楽コンクール」があったので,夏休み前半はまさにその追い込みの時期だった。中学の時も高校の時も,それぞれに夏の光景として今でも瞼の裏に思い浮かべることができる。どうでもいいことだが,体力的には中学校の方がきつかった。高校は,パート練習こそ外の廊下だったけれど合奏をしていた音楽室には冷房があったので。


渡瀬さんの「吹奏楽コンクール課題曲」を見ていて,大変懐かしかった。懐かすぃぃ,楽すぃぃ。なんつぅんでしょうねぇ。「1977年生まれ同盟@はてな」ですな,これは。


中学・高校って3年サイクルだから,大人になると大した差でない(同世代とくくって何ら問題ない)たかだか2〜3年の生まれ年の差が,明確に出やすいと思う。渡瀬さんとわたしは同年生まれでおまけに同学年らしく,ビンゴもいいとこだ。


わかんない人にはまったくわからない話題と知りつつ,敢えて書いてみる。一つ補足しておくと,このコンクールは全国規模で,方式や課題曲は全国共通。だから,居住地や出身地が異なっていても共通の話題で盛り上がることができる。県大会はつまり考えようによっては甲子園の地方大会みたいなもんなんだけど,わたしにとっては県大会が全てで,その先に中国大会や全国大会が存在しているという認識は無いに等しかった。全国大会が行われるのは秋だったような。


さて,わたしはこういうことに関する記憶力のなさと物忘れの良さには自信を持っているので,参考資料のない自由曲については諦める。課題曲その他についても記憶違いの部分は大きいと思う。これだけネタを振っておいて,みやあたりに読んでもらって正しいところを教えてもらおうという魂胆(ただし,彼女とは中学校は違うので中学時代のことまでは教えてもらえないのだが)。


ではでは,えぇと,みやに向けて(彼女は読んでいないと思うが),あるいはしまうま氏あたりの反応も密かに期待しつつ,まずは課題曲。


1990年(平成2年)第38回 行進曲「マリーン・シティ」/野村正憲(ただし2・3年生のみ)


1991年(平成3年)第39回 そよ風のマーチ/松尾善雄


1992年(平成4年)第40回 吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」/三善晃


1993年(平成5年)第41回 マーチ・エイプリル・メイ/矢部政男(かなあ? そもそもわたしはコンクールに出たのか?)


1994年(平成6年)第42回 雲のコラージュ/櫛田(月失)之扶


1990年が中学1年生。5年間の吹奏楽部人生の中で,この年の課題曲を最もよく覚えている。というか,これだけはいつでもたいてい思い出せる。ただ,自分が演奏したことはないに等しい。上級生が室内で合奏しているのを聞きつつ自分達は外で基礎練習をしていたことで逆に印象が強いのかもしれないし,他に曲を知らなかったから混同せずに覚えていられるのかもしれない。いい曲だ。ちなみに毎年6月に「吹奏楽祭」というのがあって(こちらはコンクールとは違ってただのイベント),1990年の吹奏楽祭で母校の中学校が演奏したのはドボルザークの「新世界より」だった。昔のことは覚えているのだ。


1991年の春から顧問が替わった。前の顧問の先生は30年ぐらいうちの学校にいるともっぱらの噂の50代ぐらいの先生だったが,定年を前に家の都合とかで退職なさった(なので30年もいたはずはない)。かわってやってきたのが,大学(学部か修士か忘れた,たぶん学部)出たての新任の先生。当時23歳だったのかな。眼鏡を掛けて細身の男性という,どっかで聞いたことがあるような(笑)この先生は,なんちゅぅか熱意に溢れていたね。この年は,先生と生徒の間がちょっとがたがたしていた気はする。別にお互い悪気があったわけではなくって,指導者が替わった直後の年はやりにくい,というよくある話だ。ちなみに中学校の部活のレベルはかなり低かったらしく,ずっとB部門に出ていた。この年もB部門。課題曲のセレクトも,無難路線。一応どんな曲か覚えている。


1992年中学3年生。例の顧問(であり音楽の担任)がA部門に挑戦する,と宣言して,なんていうかね,がんばったよ。結果は銅賞だったけど。なんにしても,課題曲と自由曲ともに選曲はタコだった。先生曰く楽器編成の都合でこの課題曲しかできない,という話だったのだが,県内の参加全中学校の内,これをやったのはうちとあと1校(それもむちゃくちゃうまいところ)だけだったと思う。それほどに難しかった。リズムが。たたったたったたったたっったっ,みたいな(って書いてもわかんねえな。後ろから3つめの「っ」がポイント)。自由曲は何をやったか全く覚えていないが,そっちも難解なリズムだったような(でもA. リードの曲だったような気もする。リードのリズムが難解……なんだ?)。中学時代同じ部活で現在も交流がある人が1人もいないので,最早確認の取りようがない。実家をあされば楽譜のコピーが出てくるだろうか(たぶん出てこない)。


この時1年生だったトロンボーンの後輩(女の子)と夏の「強い吹奏楽部見学ツアー」を契機に仲良くなった。彼女はその後部活基準に進学先の高校を選ぶような人間に成長してしまった。そういう生徒が生まれたことなど考えると,客観的に考えて,いい先生だったんだろうと思う(主観的にも,わたしたちの学年になると,いい関係になっていたと思う)。個人的には,この先生がかなり生徒の耳を鍛えさせたので,おかげでしばらくは耳が良かった(いまや半音階違っても分からなくなってしまったが)。


1993年。高校はA部門とB部門両方に出ていたような記憶も微かにあり,それならわたしはB部門に出たはずだが,なんだか壮大な記憶違いのような気がする。ただ,課題曲IIIの「潮煙」のメロディの一説に「♪しおけむり〜」なところがあって,そこがツボっていたので,なんらかの関わりは持っていたようだ。が,仮に出ていたとしてもどの曲も(♪しおけむり〜を除いて)さっぱり記憶にない。


1994年。忘れもしない「雲コラ」。1994年の春から顧問が替わった。またかい。とことん「2年生の春に顧問が替わる」運命に魅入られていた部活人生だった。おかげで,「トップが替わったら,どんなに有能なトップであっても1〜2年は(前の指導者の影響が強い間は)うまくいかない」という世の中の法則を身を以て学ぶことができた。プロ野球の監督が替わったら,数年間は成績がどん底でもわたしは「そんなもんだ」と流せる。


高校の部活は2年修了で引退だったので,1年しか付き合わなかったこの時の顧問が実際のところ如何ほどの人物だったのかは,残念ながらわからないままだ。とにかく前の顧問(定年退職だったので防ぎようのない退職だった)があらゆる面に於いてこの上なくすばらしい先生だったので,その先生を惜しむ気持ちでいっぱいで,新しい先生はかなりやりづらかったと思う。40代ぐらいの男性の音楽教師で専門は「歌」とのもっぱらの噂だったが……まぁ,こればかりは客観的に見ることはできないので勘弁して欲しい。


それでも多くの生徒は新しい先生と向き合い真面目に取り組んでいたが,わたしは完全に不良部員になってしまった。大人げないというか申し訳ないというか,そんなわけでそれまで毎年金賞を取っていたのが銀賞だったことには一部の部員(つまりわたしとか)のやる気のなさが大きいのではと思うのだが。そんなこともあって「雲コラ」は好きじゃない。どんな曲か,もう覚えていないが。


一方自由曲は,曲の一部は思い出せるが曲名は思い出せない。変奏曲調で3拍子のかわいらしいメロディの曲だった。が,メロディがかわいくてもな……


高校の時は吹奏楽祭,コンクールの他にも,高校の文化祭で何曲も演奏したり,卒業式・入学式で演奏したり(これは曲は決まっていたが),前の先生の退職記念演奏会があったり岡山シンフォニーホールでなんか演奏会やったりと,いろいろ大物を手がける機会が多かったので,いつどこでどの曲を演奏したのかが曖昧である。しかしこれらの方が好きな曲が多いのも事実。コンクールっつぅのは,なんだかね。


モーツァルトの「魔笛」序曲,同じくモーツァルトで「フィガロの結婚」序曲,それから,A. リードの「アルメニアンダンス・パートII」に「アルヴァマー序曲」。式典関連はエルガーの「威風堂々」にシベリウスの「フィンランディア」(共に卒業式でこれはオーケストラ編成)。誰か忘れた「こうもり」序曲もやったけど,これは高2の吹奏楽祭だった気がするので時期的に今ひとつ(笑)


渡瀬さんによれば「アルメニアンダンス・パートII」は苦渋の決断な曲のようだ。が,わたしはこの曲がたいそう好きだ。いったいいつどこで演奏したのかさっぱり覚えていないが(今日だけで「覚えていない」と「忘れた」が何回出てきているかしら),ちょうどこの曲を練習していたころ極局地的に田中芳樹代表作を制覇しようキャンペーンが展開されていて,「創竜伝」(新書版/挿画は天野喜孝氏)→「銀河英雄伝説」(これも新書版),平行して「アルスラーン戦記」(文庫版/これも天野氏挿画),ついでに「マヴァール年代記」という,なんだかすごい毎日を送っていた。で,どういうことが起きるかというと,つまり,この曲を思い出すと自動的に頭の中が田中芳樹ワールド,もっとはっきり言えば頭の中に天野喜孝の絵が思い浮かぶ,さらに限定的に説明すると,つまりアルメニアがどこだかさっぱりわからないけれども(いいのかそれで),頭の中ではペルシャあたりを舞台に黒衣の騎士が活躍してしまう(おいらはそれほどダリューン好きだっただろうか)という,そういう困った話だ。この相関はLOVE PSYCHEDELICO村上春樹セットよりも強いだろう。


でも好き。♪「#レミ#レミ#レミ#ソミ」のところを「てぃやってぃやってぃやってぃやっ」と説明していた先生の言い方もなんだかかわいらしかったものだ。


以上,ただの思い出話。