話がとつぜんやおいに戻るけれど,

確かに,ナンシーさんが「精神的プラトニック」と指摘なさっているように,やおい作品で描かれる絶対的な関係への憧れっていうのは,あるね。精神的プラトニックというか精神的貞操というか。互いが相手にとって唯一無二の存在であるという関係を成立させている点に於いて当事者間に対等関係が成立しているっちゅぅかね。敢えて社会的地位には隔たりを置いておいて,その間に絶対的な関係を成立させるところに広義「やおい」の醍醐味があるようにも見受けられるが(これは単なるわたしの好みか),これって,男女間の恋愛関係でそれを成立させるのは,難しいように思う。男女間で成立させづらいことと思春期の女性がやおいによる絶対(対等)関係に憧れをいだくことをフェミちっくに社会的性差などから解釈することもできるだろうけれど,敢えて触れないでおこう。


単に登場人物が普通に付き合って別れただけじゃ文字通りお話にならないからそのような絶対的な恋愛関係ができてしまうといった商業的側面も,あるのかもしれませんけれど。


で,この対等関係は「妹萌え」とは一見一致しないようには思うのだが,唯一無二で絶対的なところは,確かに兄−妹の繋がりでは成立しうるものな。


これを書いている最中に「やおいもえ科学」の5がアップされていて,



やおい」によって『対等な愛情関係』を創り出そうとした女子に対して、『妹萌え』によって男子が創り出したのは、『対等』ではなく、『否対等』な関係、つまり、『支配被支配の愛情関係』だったのだ。


如何でしょうか「妹萌え」な男子の皆様。


支配被支配の愛情関係……ねぇ。それはそれでSMも行き着くところは信頼ちゅぅか,だから,こう,突き詰めると同じところに行き着くこともできるように思うのだけれど,それは違うのだろうか。


……なんの話だか。(23:50)