終戦と敗戦


少し古い話題になるのだが,よしき氏の8月15日の日記経由で,北沢かえるさんの「終戦記念日、もとい、敗戦記念日。



今日、NHKスペシャル『子どもたちの戦争』を見ていて、いちばん傷ついたのは、今、70代になった辺りの世代なんだなと思った。


(中略)


70代後半は、だいたい、志願しているか、勤労奉仕しているか。そうでなくとも、友人や家族を、戦争でなくしている。
(中略)
そういう70代と、両親の世代、60代の戦中派は、戦争に抱くイメージがかなり違っている。


酔っ払いで手元がもつれています。さっきからミスタイプが多い。それはともかく,わたしの祖父母がちょうどこの「70代後半」にあたる。母方で言えば,昭和3年(1928年)生まれの祖父は,4人きょうだいの中で男一人,跡取り息子なのに自ら予科練に入った。両親は反対しただろうな(強情な少年だったんだろうか)。今の感覚からは想像しがたいが,思春期の少年は大真面目に海軍の航空隊を志願していたのだ。


昭和5年(1930年)生まれの祖母は,女学校で学徒動員されている(縫製工場だったかな)。竹槍訓練などもしたようだが,さすがに“こんなことしてもいざとなりゃ役に立つまい”といった感覚もあったようだ。彼女の実家のあたりは概ね農家なので,食べ物には極端には不自由していなかったそうだ。30kmぐらい離れた街から,野菜や米を求める人が歩いてきていたそうな。尤も,戦後結婚してからは,うちが農家ではなかったで随分苦労したようだが。


父方については(同居していないので)詳しくないが,祖父の兄が従軍して戦死している(この辺りの話は以前日記に書いたと思う。祖母は最初祖父の兄と結婚していたとか,これは母方の祖母から聞いた話だから事実かどうかわからないけれど)。五十回忌の法事をしたときは,なんだかしみじみしてしまった。それが最後の法事だから。逆に言えばそれはわたしが初めて出席した戦死者への弔いでもあった。その時は3人合同の法事だったけれど,その方に対してはなんとも言い難い空気も流れていた。


彼らと,戦後に生まれ55年体制の元で育った両親(父親が1951年,母親が1952年生まれ)との間の政治的価値観の隔たりは大きいのだろうか。さらにもう一世代下になるわたしには分からない。


父方・母方とも祖父母は年老いてはきたがまだ健在である。今の世の中に対して,彼らは何を感じているだろう。


わたしも幼い頃は戦争の話を聞く機会も今よりは多かった。生まれてから四半世紀以上過ぎた今,子どもの頃と比べて第二次世界大戦が一層遠くなっている感はある。小学校に入ったばかりの頃は,戦争に対する加害者意識は殆ど無くて,戦争関連の教育と言えば,悲惨さを訴える空襲や原爆の話ばかりだった(広島の隣の県だからと理由でもないだろう)。それは被害者意識というのとも少し違って,「戦争は悲惨だからもう二度としないようにしましょう」といった平和教育ベルリンの壁が崩壊するよりも前,東西冷戦下ではありながら,イラン・イラク戦争も休戦になり,ベトナム戦争も既に遠く,地球から「戦争」と名前のつく争いが少し遠くなっていた頃のこと。実際にはいろんなところでいろんなことがあったのだろうけれど,わたしはあまり知らず。或る意味何らかのイデオロギーによる×××教育という感じも,今振り返れば思うけれど。


酔っぱらった勢いで政治的な話をするのは良くないが,わたしは従軍して戦死した一兵卒達にも人間的尊厳はあると思う。わたしの世代はまだぎりぎり,戦争体験をした世代と直接接し話を聞く機会もあったし戦争加害者教育も受けていない,無闇に「日本軍悪い」とは思えない。


いずれにしても,いいとか悪いとかって片方に決めることは安易だし,それは逃げでしかないように思う。内田樹の「ため倫」にも書いてあった。なんて書いてあったのかは忘れた(「人間的尊厳がある」と書いていたのではない)。戦争で日本軍が行ってきたことを,しんどくても,目をそらさずに,あまさず見ることこそが,死者への弔いである,といった内容だったのでは,ないかと……。