案ずるより産むが易し


↑その後,応援練習(というものがあった)が終わるころになると,応援練習なぞどこ吹く風の向きやスティックバルーン持ってない向きやらもばらばらと到来して,ようやく肩身の狭さも緩和,そして試合が始まると案外普通でした。たしかに完全ホームなんだけど,それさえ気にしなければ(どこかの協会がそれでいいと判断してるんだからもういいんだろう),DJさんの発言機会も2・3試合目より格段に少ないぐらいで,単に完全ホームというだけの普通の試合。家で放送時間とカットされる分量から試合結果を予測してみたり実況の絶叫につきあったりするよりは遥かに精神衛生上良かった。何より,同じ体育館で今まさに目の前で選手が試合をしている,その(声が届くと信じていられる)空間を共有することは何物にも代えられない。それがかなうのはすごく恵まれていて幸運で贅沢なことだとわかっているし。だからこそ,なんのかんの言いながらも東京を離れる気になれないんだし。


駅から自宅までの帰り道に庶民的な飲食店があって,そこのお店は前の道路を歩いていると道路に面した入り口のドアのガラスから店の奥に設置されたテレビ画面がちょこっと見える。夏場はたいていプロ野球中継が流れているような,そんな番組セレクトのお店。昨日,夕食を食べた帰り道に,そのお店のテレビにOQTの中継が映っていて,それを見たら気になってしまって家まで小走りだった。今日,試合を見終わった帰りも,やはり(録画で時差中継の)OQTを映していた。


地上派で放送されるというのはそういうことで,こんな時代でも,まだ,それぐらいの威力をテレビは持っている。彼らはたとえ距離が近くて時間が許したからといって現地に行く選択はまずしないだろう。テレビでやっているからなんとなく見て,日本の調子が良ければなんとなく嬉しいし,調子が悪ければ「日本,あかんやんか,弱いんやなぁ」となんとなくがっかりする。選手にはそんな大衆の期待に応える義理はないし大衆の期待をプレッシャーに感じる必要もないと思っているのだが,しかし体育館は空席が目立つとはいえそれなり(少なくともVリーグとは桁違いの)客入りで,それだけ多くの人に注目してもらえることはしみじみと有り難くもある。競技する人,観る人,応援する人,の入り乱れる思惑やらについては未だに自分の中で整理がついていないが,整理をつけることもないんだろうな,と,近頃は思いだした。あるがままに。ちょうどはてなでバレーボールの話題を出して,それっぽい方面にお世話になるようになったのが前回のOQTだったなあと思い出す。


実は国際大会(国別対抗)の観戦は初めてでしたが。オージー高いよ。アズーリも高い,けど,イタリアとしてはこんな時期にこんなところで予選戦ってるなんてのが言語道断の事態なんだろうというのがわかるぐらいには,ちょっと雑さが気になった。日本が,という視点に特化した思惑でいけば,火曜日のオーストラリア対イタリア戦が,この先を占う(戦略を左右する)一戦となるやもしれない。


山本の調子が上がらんとなぁ。