京都のガイドブックを買おうとして(笑)

本屋に立ち寄ったらミラージュの最新刊が出ていたので,つい買ってしまう。手持ちの現金が100円を切っていたので,それだけ(とNEWるるぶ)にクレジットカードを切ってしまった。昨日届いた10月締めの請求額は10万円を超えていて,ちょっと笑っちゃった。ボーナス年初の予告通り出てくれるかなぁ。11末引き落としは,その直後にボーナスが入ることをあてこんでいるので,えぇ。心配。近頃クレジットカードづいていて,11月も結構な勢いで使っています。草履とかアマゾンの本とか。ポイントについて全く無関心なので,貯めては失効してはを繰り返しているに違いない。


本題に戻し。ミラージュは,いよいよ次回40巻が完結編になるらしい。完結編らしき段階に入ってからでも何冊も出ているのですが,今度こそいよいよ本当に終わるようで,「あとがき」にも書いてあったけど,マラソンでようやく競技場の入り口が見えてきた感じよ。読んでる方もたいへんだったって。


わたしが高校生だった10年前に,すでに5冊ぐらいは既刊だったんだから,干支の一周,じゃなかった,十二支の一周ぐらいは,しているのではないかしら。「パタリロ!」だとか「ガラスの仮面」だとか,白線社の少女まんがには恐ろしく長いのもあるけれど,コバルト史上後にも先にもここまで長いシリーズって,ないようなないような(詳しくないので存じ上げませんが)。まさかこれだけ長く続くとは思わなかった。いい加減終わらないものかしらと思い始めてからでも6年や7年や8年ぐらいは経ったような気がする。だったら買わなきゃいいのに,なんでか買ってしまう。買ったところで真剣に読むかというと,読むのが遅いわたくしにしては他にないぐらいのスピードでナナメ読みをしていて,今日もモスで1時間半ぐらいで(それでもそれだけかかるんだが)じゃじゃっと表面をなぞって,しかし2度とは読み返さないのだった。20巻を過ぎたあたりから,全く状況が掴めてません。発売されるごとに買っているのに。読み返さないからね。シーズンに1冊出るかでないかだと,新刊が出るころにはそれまでの内容は綺麗サッパリ忘れている。なので,買った本を開いてもそこまでの展開を一切覚えていない,そんな感じです。


いやしかし。まじめなはなし,あれを真剣に読み込んでいる人っていったいどれぐらい居るんだろう。いくらなんでも長すぎる。近頃の高校生ぐらいだと,小学生のころから読んだとしても,古本屋で買い集めるぐらいじゃないとお財布に痛いよなぁ,とか。40冊積み重ねても金額的には大したことにはなっていないというのを計算して,文庫本って安い娯楽だなぁとは思ったけど。10年かかってるのが,3回ぐらい飲みに行ったのととんとんですか。それでも,シリーズの途中で存在を知った場合に既刊本を一気に買って読もうと考えられるのって,せいぜい10冊とか15冊とかだと,思うのね。逆に,まだ東城和実が挿し絵を描いていたころに青春時代(笑)を送った人々となると,わたしも含めもういい歳なので,読んでないか惰性で読んでるかのどっちかで,入り込むようなことはなかろうとも思う。


なんだかんだ言いつつ,雑誌でもたまに特集が組まれているし,何より今まで途切れずにシリーズとして続いてきた(続き方はジャンプの前半分に掲載される連載まんがのような感じ)からには,それなりに読んでいる人がいるのだろうけど,いやはや。最初の本が出たときだったかデビューしたときだったか,桑原水菜23歳だったんだよね。わたしゃその歳をとっくに追い越しているよ。


高校生の頃を思い出して,その頃と今と,生活が殆ど変化していないことに気付いて,すこぉし不思議な感じがした。昼の生活もあんまり変わらない(50分に10分休憩があったのはいい生活だけど,相対的には仕事より授業の方がしんどい。宿題やテストもあるし。)し,家にいる時間もきっとあまり変わらない。家ではプロ野球を見たりバレーボールを見たり(←ただし去年の世界選手権も今年のワールドカップバレーのここまでの試合も全くといっていいほど見ていない)テレビを点けっぱなしにしていたり,夜はなにやら書き物をして,たまに脳味噌を使わない娯楽本を読む。当時から離れに住んでいたので,母屋との距離が著しく離れただけのような気がしなくもない。違うと言えば,音楽からの乖離が顕著なことぐらいでしょうか。でもピアノは辞めてたからそうでもないか。


ちょっと前までいつも見えていた火星がいつのまにかいなくなっていて,東南の空に青白いシリウス。(01:18)