俗に言う「高坂弾正」の初登場


あの場面で彼がでてくることは予想していなかった。(登場するのはもうしばらく先だろうと思っていたし)。


コーサカダンジョーというと戦国時代に暗いあれな女子としてはあれに出てくる黒いひとしか知らんかったわけでして,そのコーサカダンジョーの(かなり間違った)イメージからすると,今回のゲンゴロー君はちょっとおとぼけな人物造形の様子。少年役だからかもしれないけれど,仮にこのまま育つと魅力あふれる人物になりそうで楽しみではある。


面白かったのは,勘助と源五郎の表向きはどってことないやりとりに「ぶはっ」と茶を吹いたのが一部女子だけではなかったらしいこと。ある種のアンテナとフィルタの所為ではなく,多くの一般大衆があの画面から似たような受け取り方をしたということは,それはもう作り手側が意図して発信した(少なくとも想定はしていた)と考えるのが自然で,ならばえねっちけーの中のひとはいったい何を目論んでいるのか。


源五郎が劇中14歳だか15歳だかだけど子役ではなかったので脳内で少年に変換しながら見ていたわけですが,それにしてもなんだか今年の大河ドラマは濃いい。まずむっさい男ばっかり揃いも揃って芝居が濃い。出てくる人間がどいつもこいつもかなりこってり風味。加えて話の筋も伏線もこってりどっさりべったり。しかもどんよりどよどよ。主人公が現代の感覚ではかるとかなり酷い人物で,彼の行動なりその動機なりに全く共感も賛同もできないし,嫌気がするぐらいだから応援なんてとんでもないし。


それは主人公だけでなく主要登場人物すべてに対して同じことが言える。明るく楽しいドラマではないわな,大筋は。だからこそ息抜きパートや笑いパートや癒しパートは重要だし,そこでバランス取れているんだけど。でないと息が詰まる。


自分がすっごく子どもの頃は子供向けの伝記を読む機会も多くて今よりはだいぶ戦国武将の知識があったし,前回の「武田信玄」も見ていて戦国時代&戦国武将かっこいいと思っていたけれど,いまは知識もなくなって歴史の教科書も薄くなって,武田氏というと信玄ではなく長篠合戦で信長に負ける勝頼のイメージの方が強い。それに国を広げて大きくするって,つまりは侵略合戦だしね。と,おとなになると,いらんことを思ってしまって,信玄(晴信)を好きな気持ちが今のところはない。次の代であれかと思うと空しいしな。


今回のドラマのいいところではあると思うけれど,そういった荒んだ時代とその時代に生きている人たちをけっして良い人として描いてはいないように見える。主人公は初回から今に至るまであらゆる場面で自分勝手で狡猾だし,晴信だって「大望」だなんて言ってみたりしてはいるけれど,大望は正義ではないしね。どんなに飾ったところで父親を追放したり息子を廃嫡したり侵略戦争仕掛けたりしているのはなかったことにはならん。


そんな辟易うんざりなのをわざわざ毎週録画して見ているのは半ば惰性。なれどしかし,ここに来てキャラ萌え要素の展開が徐々に(確実に)広がっていて,それにまんまとはめられつつある。常に前を向いてひたすら押し出しの強い晴信と平成の無気力無関心な若者よろしく徹底して冷め切った態度の近習駒井とのやりとりで生ずる間,いいとこのぼんぼん故の素直さ善良さ若さ率直さがいっそ清々しい武者震い庵原之政と40代無職で辛酸舐め尽くした勘助とのやりとりで生ずるかみあわなさ。人物の対比は鮮やかでコントめいていて笑いを誘う。加えて武田家重臣のおじさんたちのおやじギャクとまだ若いらしいのにいっちょ前に肩肘張ってる小山田信有の嫌味の応酬やら今川家の美声密談3人衆でのボケ突っ込みやら,数え上げればキリがない。


そこへとどめの源五郎。あのすっとぼけは天然なのかどうなのか。