追記1(2の予定はない)
欠席3名:A氏,T氏,N氏。A氏関東帰還相成近々歓迎会挙行スベシ。T氏はれじゅめ&電話参加。N氏の生態杳として知れず。
M氏は難波から近鉄アーバンライナーで参加。そのため,東京発が3人だった。
宿のブログに夕食後に撮った写真が載っている(どうせなら顔が真っ赤になる前のほうがよりよかった)。知っている人間なら顔が判別できる程度のぼかされかたで,こそばゆい心持ちである(載せていいですかと確認を取られて断乎拒否するだけの理由もない。むしろ載らなかったら周辺関係者から旅行自体の成立について疑惑の念を向けられるおそれ,はなかろうが)。宿の人には会社の仲間かときかれ,幹事たるFM氏が大学時代の友人だと答えたところ近隣の某有名大学かときかれ,違うと答えてじゃあどこよって話になった。そこで誰一人口を割らないのは自意識過剰か出身校に対する誇りの高さか謙虚さか。地元ならともかくほかの土地で大学名を言ってみたところで会話が続くこともあるまいし,どうってこともない雑談でしかないものの,事後にブログに載ってしまう可能性が高いとなると,まあちょっとその,ねぇ。
その後どんちゃん騒ぎをして出禁になるおそれもないとはいいきれないし,いずれにしてもいい印象は残しそうにないし(ぉ)。もっともこの話をさきほど夫にしたら,母校の名に泥以外を塗った卒業生がいるのかと逆に問われたが。
個人的には,夜更けの一連の会話はちょっぴりエポックメイキング風味なひとときとなった。人と会話をしている体を取りながら,その実相手とではなく過去の自分自身との対話であったような。20代の終わりに近づいているせいか(それとも31歳から30代と数えるべきであろうか),このところ自分の過去を20代という一区切りでくくろうとする気持ちになることがある。このおよそ10年の間には,今思い返しても派手なできごともいくつかあり,最近になってようやく少しずつそれらと過去の出来事として向き合えるようになってきたような,まだ向き合えないような,向き合う過程なしに記憶の底に沈めたいような,ほっといても沈んでいるような。うー。まあ,ねえ。
あのときあれがああなっていたら今頃これがこうなっていたかもしれないな,と無駄なたらればを考えてみることや(もちろんあれがああなっていたからといってその後これがこうなるとは限らない),あのときああ言わなければ(しなければ)よかったと後悔することや,あのときああしていれば(いえば)良かったと後悔することや,人間完璧ではないしひとつの地点で取れる行動はひとつしかないし,これまでの短い半生の中でも,小さな岐路や転機は,たくさんあったと思う。これからもあるんだと思う。
やらずに後悔よりやって後悔,言わずに後悔より言って後悔,なんですかねぇ。
しかしなかなかうまくは立ち回れないものです。たとえば今またもし,過去にいくつか遭遇した事態と似たような事態に陥ったとして,前よりもうまく行動できるかというと,きっとそんなことはない。人間ってそんなに変わらないから,今でも同じようなことをしつづけているんじゃないかとも思う。しかし一つ言えることは,良い30代でありたい。