かなづかひ入門


かなづかい入門?歴史的仮名遣VS現代仮名遣 (平凡社新書 426)


かなまるから借りた。以前は旧かな(歴史的仮名遣い)が偉いと思っていたんだけど,「ことば」というものに対する見方が改まりつつあるここのところはそうでもなくて,さらに,この本で旧かなの成立背景や字音仮名遣いがネックであったなどの新しい知見を得て目から鱗がぽろぽろと落ちている。


そうはいっても,(仮名遣いとは別の問題になるが,用字の話として),いまだに,常用漢字表表外字を常用漢字に書き換える推奨運動については,当用漢字表を定めた当時とは事情も違って多くの人々が「読める字が増えた」「書くのはワープロを遣うことが多い」かつ斯かる時代背景を受けて表外字に対する使用禁止度もゆるくなっている今,もとの字を使ってもいいんじゃないかと思っているんだけど。関数か函数か,交差点か交叉点かみたいな話(いずれも後者がもとの用字)。でもその理由は単なる郷愁(と「なんとなくかっこよさそう」な気分)に過ぎないので,既にみんながなじんでしまっている書き換え字を元に戻す方がよほど混乱の元であろう。


日本語の正しい正書法なんて決まっちゃいないので,書く文には好きに書けばいい。送りがなが「本則」でないと誤りだなんて法がないのと同じ。現代仮名遣いも強制ではない。自分は旧かなでは書けないが,読む分には読めるので使いたい人は使えばいいだろう。逆に,異体字や旧字は文字コードの関係で使いづらくなり(うにこーどだと大丈夫なのかもしれないが),コンピュータに支配されている感は漂っている。そうでなくともIMEにはぐちゃぐちゃいちいち横やりを入れられるが,(この段落の冒頭に戻る)。近頃「言う」を「ゆう」と書く輩が多いのが気になって仕方ないのだが,それも用字の一種と考えれば,かりかりと目くじらを立てることではない。音通りに表記する現代仮名遣いの基本には則っている(自分が好きかどうかは好みの問題でしかないので話が違う)。


それに,初等教育からばりばり現代仮名遣いで育っている世代であっても,自分が現代仮名遣いをきちんとマスターできているかといえばはなはだ心許ない。個人的な好みとして「地震」が「じしん」であることに違和感を覚えることと,あと,現代仮名遣いにおける「ず」と「づ」の使い分けルールをもう忘れてしまっていることとで,いまだに「頷く」が「うなづく」と「うなずく」のどっちが正しいのか分からなかったり,「額づく」は,ATOKで「『ぬかずく』が本則」と言われながらもつい「ぬかづく」にしちゃったりする。音として「ず」と「づ」「じ」と「ぢ」を区別する言語で育ってはいないので(たぶんね),結局のところは,清音の語が複合名詞やら複合動詞やらで音便(?)化して濁音になったときに違う文字+濁点を使う事への違和感でしかないが。