8月15日


母方の祖母の82歳の誕生日。昭和五年生まれ。昼休みに気づいたけど,電話してないや。


終戦記念日でもあるのだけれど,いつも通り人の少ない職場でゆるゆると仕事をしている間,お盆(休み)であることは意識しても,戦争のことはなかなか思い出さなくなった。例年この時期はテレビで太平洋戦争を振り返るドラマや特別番組が目白押し,書店にも戦争関連の書籍が並び,夏休み映画にもなっていたように思うけれど,今年はオリンピックでうかれていたせいか自分の視野が狭いせいか,そういった機運が見られないように感じる。


広島と長崎の原爆投下日も,今日も,その時間はいつのまにか過ぎていた。昭和は遠くなりにけり。


母方の祖父母はそろって8月生まれなので,小学生ぐらいまでの夏休みを夏休みとして過ごしていたときには,彼らの誕生日が近づくと彼らが若い頃,つまり戦時中のエピソードを頻繁に聞いていた。貴重な話だったのに,あまり覚えていない。今,改まって聞くようなことでもないように思う。話したいこともあれば話したくないこともあるだろう。暮れにしか帰省しないから,思い出すことも少ないし。


去年の震災や今年のオリンピックを通して,日本の国民性(日本に住んでいる中で多数派を占めている民族の性質,と言い換えて良いのかそれとも純粋にネイションによるのかはわからない。そのような特徴的な性質が事実存在するのかどうかもわからない)らしきもの(それもネガティブな評価が伴うもの)が,新たに幾つか「発見」されているように感じる。


それによると,十五年戦争のころの日本に住まう人々の選択や行動が,けして自分達とはまるで違う遠い昔の人達のものとは言い切れないと思えてくる。


と言った言説をよく見かける。わたしもそう感じるところがある。


しかし一方で,その言説や再発見はあくまで七十年を経た今の時点から振り返って想像している当時の日本に住まう人々の様子でしかない。少なくともわたしが物心ついてから今までの三十余年において,そういう見方はしていなかった。その断絶。


その間にそういった言説が主流でなかったということは,言説のほうが後付なのだろうか。とは思いながらも,わたしなどはばりばりの戦後民主主義教育(自虐史観を含む)を浴びて育ったクチなので,戦争はいけない戦争に向かった日本は間違っていた,という色眼鏡で物事をみている節も強い。


我々の世代さえもがおっさんおばさんになった今だからこそ,どちらにも寄らないフラットな視点として,「今のわたしたちはけしてえらくも賢くもないし,当時の人達だってけして愚かで浅はかだったわけじゃないし,日本人そういう気質あるんじゃないの」といった見方や解釈が流布するようになってきたのかなあとも思う。


いずれにしても,巷の「日本人変わらんのじゃね?」的言説に対しては,納得できる一方で,机上の空論感というか理論だけじゃないのよ的な居心地の悪さも感じる。実際にその当時どうだったかはわからんのよね。と,当事者がまだ健在なのに当事者不在であーでもないこーでもないと当時の日本人を云々するのも気持ち悪いし,こう書いているまさにわたしのように,当事者が健在であるにも拘わらず「その当時どうだったかわかんないよね」と他人事のようにいうのもどうかなあと思う。


「もはや戦後ではない」ということばさえもがすでにしっかり「歴史」の範疇なんだけど,終戦から65年以上経った今,また,あらたな時代になっている気がする。当事者不在の歴史時代に突入している,というか。受け継がれ引き継がれ語り継がれてきた,現在から続いている時代の過去の出来事ではなく,今とは切り離されてた過去の一時点になってる。言うなれば「時代小説」のような半分架空のものとして取り扱われる素材になったような。フィールドワークじゃなくて文献研究のフェイズのような。


うがちすぎか。


同時代に生きていて同時代に起こっている出来事であっても,ひとりの人間には把握しきれていない。知らないことも多いし,知っていることも解釈には主観が入る。だから当事者の弁が絶対ではないだろうけれど。


そして,少なくとも我々の世代はまだ,自分の直接の知り合い(身内)に当時を生きていた人がいる。