きのう(というか今日未明)の「まぜごはん」の続き。


さっき電話をしていた京都人から「ちなみに韓麺韓は当然『ピビンバ』です」と言われた。なにがどう“当然”なんだ。統計を取ったわけではないが,昔から使われていて馴染みがあるのは「ビビンバ」じゃないのか? それともそう思うのはわたしが辺境の地に住んでいたからか?


帰りにちょっと大きめの本屋に寄って語学書のコーナで数冊拾い読み。それで個人的には満足したし,続きを書いたところで衆人の関心を集められない話題だとは思うのだけれど,書き逃げもよろしくなかろう。しかし,この手の話を書き出すと,テキストのみでは説明しづらいので異常に長くなる。そこで一計。図示します。今から。


……1時間ぐらいかけてしまった。阿呆だ。字で書いた方が早いやん。しかも肝心なことは書けていないことに気付いた。なので,見なくていいです(この辺に置いていますが)。時間がかかった理由の主たるものは,たまにしか使わない入力デバイスには慣れていない,と。


やっぱり絵描きには向いていないし2次元で表現するのは苦手だ,ということを再確認したところで(言うまでもなく3次元はもっと苦手),きょうのたわごとはお終い(笑)……にすると何がなんだかわからんな。


で,きのうの推測はあたっていて,「びびんば」の3つの音節の最初の子音は皆同じ字を書くのですが,この字は語の最初に出てくるときと途中に出てくるときとで発音が異なるのですね。おおざっぱに言えば,語中で有声化する。


そもそも韓国語(朝鮮語でもいいけど)では,語のアタマに有声音は来ないのだそうで,だから,「b」で始まることはないようなのです。それで,韓国語の発音に近づくように表記すれば「びびんば」ではなく「ぴびんば」になる,と。


ま,こんなところでしょうか。繰り返しになりますが,これはあくまでも,韓国語の文字表記を分解して見たときの,それもアルファベットだの日本語だのといった観点から見た場合の理屈なので,実際にどのように聞こえるか,といった話ではありません。


以下は一部マニアックな人だけを対象とした(つまり一人もいないことを前提にした)メモ。


韓国語の子音の内いくつかは有声音と無声音を持っているけれど,韓国語ではそれを区別していない。発音上,語の途中(厳密には平音節と母音に挟まれる)に来ると自然と(勝手に)有声音化するだけらしい。そして,これもきのうちらっと書いた予測通りだったのだけれど,有声音=濁音,ではない。


逆がわから見た話を一つ。


これは,自分で気が付いてしみじみしたことなんだけど,この話を(というか絵を)かくにあたって,「びびんば」の「ん」は『ん』って書いてあるけど「n」じゃなくて「m」なんだよ,というのを強調しようと最初は考えていた。それもかなり大真面目に。かっこわるいから気をつけようね,ぐらいの勢いで。


でもね。日本語の「ん」は「n」だけじゃない。音としては「n」も「m」も,字が出ないけど口を開けたまま鼻に抜ける(鼻濁音の「が」に使う)「ん」もある。それ日本語では発音時に意識しないし意味も区別されないけれど,前後の音の関係で自然にいずれかが選択されている。声に出して「ぴびんば」と言おうとして,「n」や鼻濁音の「ん」で発音する方が難しいだろう。難しいというか,次の子音が「p」だからできないと思う。


それなのに「n」でないことを強調しようと考えていた理由は,ただ一つ。日本語をローマ字表記するときに「ん」は便宜上原則「n」で表記されているからだ。日本語のローマ字表記なんてNHK「日本語で暮らそう」ぐらいでしかお目にかからないと思うことなかれ。いや,むしろ日本語をローマ字表記するシーンの方がよほど,nとmを使い分けている。


つまり,パソコン上のローマ字入力「ん」の子音の種類によらず,すべて「n」で入力しているから,いつのまにか「ん」=「n」と思いこんでしまっていた。わたしの頭の中はすっかり,日本語の音を,ローマ字表記した子音+母音に分けて(それは日本語の音のパーツとイコールではないのに)理解してしまっているということだ。さすがにそれにつられて日本語の「ん」が全て「n」になることはないだろうが(たとえば「にほんご」の「ん」を「n」で発音することは「びびんば」の「ん」を「n」で発音することと同じぐらいしんどい),そういう風に捉え方が違ってきていることは,考えようによっては大きな変化(或いは転換)ではないだろうか。


発音できないといえば,びびんばのさいごの「ば」も恐らく有声音で発音されるのだろうが,その前の「m」で口を結ぶと「b」の音は出しづらく,どちらかというと自然に「p」になる。終声(タイ語で言うところの末子音,と,タイ語を引き合いに出して説明することに何の意味が……)が「p」だから尚更勢いもつく。あたしだけだろうか。そそ,耳で聞くのでなく文字を解析した上でより厳密を期して表記すると「ぴびんばっ」ですかね。


きのう書いていた,“たとえば日本語の「k」にあたる子音を表す文字(のパーツ)がハングルで3つあって,何がどう違うのか忘れたけれど一応どれも微妙に違う音を表している(はず)。”については,平音と激音と濃音という名前が付いていて,平音についての説明は数冊立ち読みした限りでは見られなかったが,激音は強く息を吐いて発音し,一方濃音は子音の前に声門閉鎖を伴い(と考えられている),息をあまり出さない。詰まったようなくぐもったような,と,本には書いてあったが(聞いたことがないからわからん)。また,激音と濃音は語中でも有声化しない。


こういうのって,会話(口頭)で話題にすれば「へぇ〜」って多少は面白がってもらえるのだろうけれど,文章で書くとちょっとアレですね。面白くなさそうと言うか。うーむ。そもそもこんなことを万人が面白がるか。


ところで,わたしはしばしば,外国語会話にはそれほど興味がないとか話せるようになりたいとはあまり思わないとか言っているけれども,けして,異文化や異文化とのコミュニケーションに全く興味がないわけではないし,知らない言語を知ろうとする行為の目的や動機に「話せたらいいな」が全くないわけでもない。それはそれでとても魅力的なことである。しかしそれらの興味関心よりも,無気音がどうとか声調がどうとか時制がどうとか膠着語がどうとかっていう話の方への興味関心の方が勝っているらしい。(01:56)